自分の中に、ずっと考え続けてきた“永遠のテーマ”があります。
「人と違うとは何なのか」
「そもそも、人とは何なのか」
今回は、その問いについて、少しだけ話してみようと思います。
人と“違う”と感じた原点
私は、物心ついたころから「自分は人と違うんだ」と認識していました。
もちろんネガティブな意味での“違う”です。
感情的には、孤独、寂しいと言う気持ちでした。
自分の体や家庭環境は普通とは程遠く
私の気持ちや考えを、理解してもらうことはできませんでした。
それは当然のことで、逆にみんなの気持ちや考えを
こちらが理解できないこともありました。
この相互関係が、“違い”をさらに深めていきました。
「普通」とは何かという問い
そこで最初に考えたのが、人と違うとは何なのか。
「人と違う=普通ではない」が私の解釈です。
ただ、当時の私には、何が違うのか、何が原因なのか
理解することはできませんでした。
それから考え続けグラデーションを描いて
今の解釈に至ります。
そうすると必ず、普通とは何なのかという壁にぶち当たります。
「人それぞれの普通がある」「普通の人なんていない」
このあたりのセリフを散々聞いてきました。
私自身もそうなのかもと考えてみたことはあります。
でも、そういうことではないのです。
確かに“普通”は存在し、その“普通”から離れている存在はいます。
普通と言う円を中心に、360°の方向に離れていきます。
私にとって“人”とは何者か
次に、そもそも、人とは何なのか
これは、ざっくりとしすぎているので、何通りもの解釈が存在しますが
今回の「自分が人と違う」と言う観点から見ると、
人とは、中心にいる“普通”の人です。
私は学者や有識者でもないので、あくまでもイメージ、
肌で感じてきた“頭の中のニュアンス”として語っています。
私にとって、人(普通)とは、
憧れの存在でもあり、憎い存在でもあります。
排他されてきたという、嫌な記憶があるものの
私にはできないことを、難なくやってのけてしまう。
そんな“人”への、憧れと反発が混在しているのです。
きっと私は、これからもこの“円”との距離感におびえながら、生きていくのでしょう。
いつか手を取り合える人が現れるのを夢見て。
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