私は空気を読む。そして壊れていった。

「私は空気を読む。そして壊れていった。」というタイトルが中央に配置された、落ち着いた配色のブログ記事アイキャッチ画像。しのぶの備忘録シリーズ。

多くの人が、何かしらの悩みを抱えている「対人関係」。
今回は、そんな人付き合いに対する、
少し変わった“私なりの捉え方”と、心境の変化について書いてみようと思います。

これまでの記事でも書いた通り、私は人の空気を敏感に感じ取っていました。
それが生まれつきの気質なのか、育った環境によるものなのか──
今でもはっきりとはわかりません。

私の感覚では、この過酷な環境を生き抜くために、
自然と人の顔色を伺う癖がついていたのだと思います。
自覚のないまま、相手の思考を読み取っていたのでしょう。

そのせいで、私にとっての対人関係は、
いつしか「避けられない疫病」のような存在になっていきました。

ぱっと見では、「人の感情がわかるなら、むしろうまくやれるんじゃない?」
そう思う人もいるかもしれません。
でも実際はその逆で、むしろ私はがんじがらめになっていました。

わかってしまう。読めてしまう。
だからこそ、自分の意志や意見というものを、
出せなくなっていくのです。

「私がこう言えば、こう思われるだろう」
「こうすれば、相手はこう反応するだろう」
そんなふうに、すべてが予測できてしまう。

誰に対してもそうでした。
同級生に対しても、家族に対しても。
拒否権はなく、本音は隠したまま、ただ受け入れていました。

利用されているのも、嫌われているのも、変な奴だと思われていることも──
すべてわかっていながら、それでも合わせるしかない

成長するにつれ、その感覚は研ぎ澄まされ、より鮮明になっていきました。
ただ同時に、心は摩擦で摩耗し、徐々に何も感じなくなっていきます。

考えることもなく、無意識で人の感情を拾い、
その場にとって“最適な反応”を返す。
それが自然と、癖になっていったのです。

そして何より厄介なのは、
この構図が子ども時代だけで終わらないということ。

大人になっても、変わることはありません。
これは「成長すれば解決する問題」ではなく、
人間という生き物の構造が持つ“本質”なのだと思うようになりました。

そう理解し始めた頃には、
私の感情はもう、“人間のかたち”を失いかけていたのかもしれません。

何も感じなくなっていたわけではなく、本当は、感じていたものを
ずっと奥に閉じ込めていたのだと思います。

以上が、今の私にとっての「対人関係」です。

これは、私の人生の中でも、とても大きなテーマのひとつです。
これからの記事でも、もっと深く掘り下げていけたらと思っています。

あなたにとっての「対人関係」は、どんなものですか?
そっと考えるきっかけになれたら、うれしいです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

多くの人に届けたいと思っています。 よろしければ、シェアをお願いします。
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次