最初の記憶は、幼少期の基礎疾患との闘いでした。
今こうして生きていること自体、当時の私にとっては奇跡のようなことだったと思います。
2〜4歳頃、2種類の基礎疾患が発覚しました。
詳細は控えさせていただきますが、生死に関わるもので 肉体的にも精神的にも、
限界の中で生きていた記憶があります。
調子の緩急に振り回され、日常生活も大きく制限されていました。
「普通」に過ごすことができないということが、
子どもながらにどれほどつらかったか—— その感覚は今でも鮮明に覚えています。
そんな中、私を必死で守ってくれたのが母でした。
真夜中の急変には何度も救急搬送してくれたり、 周囲の人に聞き回って、
いい病院や治療法を探してくれたり、 金銭的にも体力的にも、限界を超えていたと思います。
この頃から、母の存在は私にとって何よりも大きなものになっていきました。
病気そのものの苦しみに加え、その影響で他人との関係も困難になっていきます。
内向的な性格になり、保育施設へ行くのも嫌で、人との関わりが怖くなっていきました。
人前で話すことができず、登園も不安定。 外見にも症状が出ることがあり、
それが原因で“浮いた存在”として見られるようになりました。
「周りとの違い」そのものが、病気と同じくらい苦しかったのです。
この闘いはその後も長く続きました。 日々の生活の中で、私はこう思い続けていました。
「なぜ自分だけがこんな目に合うのか」
「なぜ他の子は普通にできるのに、自分はできないのか」
「生まれてこなければよかった」
そうして、体調不良 → 心の落ち込み → さらに体調悪化、という負のループに陥っていきました。
それでも私が今こうしているのは、母が必死に守ってくれたからです。
もし母がいなかったら、きっと私はもうこの世にはいなかったと思います。
今思うことは、母への感謝とこの時の日々を忘れないということです。
母親であり命の恩人で、自分の命のために長い年月、母の人生を犠牲にしたことでしょう。
そしてこの辛かった日々を忘れないことで、人生つらいことがあったとき
このことを思い出して前に進むことができました。
これが私の最初の記憶です。
この記事を読んでくださった皆さんが、どのように受け取るのかはわかりません。
きっと人それぞれ、違う感じ方があると思います。
でも私は、この記事が何かのきっかけになればと思っています。
それが励ましであっても、共感であっても、反発であっても。
私はただこの記事を利用して、活力にしてほしいと思っています。
ありがとうございます。
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