あの時はまだ、すべて周りのせいにしていました。
自分は何も悪くない。
環境が悪いから、苦しんでいるんだと——。
今でこそ、当時の考え方は偏っていたと思えますが、
基礎疾患に加えて、いじめも徐々に増えていく中で、私はどんどんネガティブになっていきました。
“「この体に産んだ親が悪い」”
“「馴染めないのはみんなのせい」”——
気づけば、何でも誰かのせいにしていました。
現実がしんどすぎて、何より、逃げ場が欲しかったんだと思います。
園児の頃も、小学生になってからも——
行きたくない私と、行かせたい母とで、よくすれ違っていました。
学校に行っても、いじめられる。
楽しいこともない。
だから、家の近くで時間が過ぎるのをただただ待つこともありました。
よく言われていたいじめ文句は、「病気がうつるから近寄るな」。
うつらない病気だと説明しても、子ども同士では伝わらないこともあります。
今なら、「子どもだからそうなってしまうこともあるよね」と思えるけれど、
当時の私は、その言葉をそのまま全部、胸の中に飲み込んでいました。
そんなある日、突然、引っ越しが決まりました。
理由は知らされなかったけれど、辛い学校生活から離れられることに、
少しだけほっとしたのを覚えています。
でも、その時にふと浮かんだのは——
「引っ越してもまた、いじめられたらどうしよう」でした。
また同じことが続いたらどうしよう。
そればかりが頭をぐるぐる回って、引っ越しの日までずっと悩んでいました。
その時に少し考え方に変化が出始めたのです。
たしかに、いじめられたのは理不尽だったけれど、
もしかしたら、自分にも何か原因があったのではないか——と。
思い返せば、全員が全員、いきなり私を否定してきたわけではありません。
最初は声をかけてくれていた人も、きっといたはずです。
幼いころからの経験で、すっかり暗くなった性格の私。
目を合わさない、声が小さい、返事も曖昧。
それが知らず知らずのうちに、相手の気持ちを遠ざけていたのかもしれない。
それに気づいた時、すこしだけ世界が違って見えた気がしました。
そうして私は、この心機一転を胸に引っ越しすることになるのです。
今考えても、いじめはよくない事だし、病気なのが、いじめられる側が悪いとは思いません。
相手は子供で、自分も子供。しょうがないことだとは思います。
だからと言ってすべてが許されるわけではありません。
どちらにもそれぞれ理由はあると思いますが、できないからと言って何もしないのは違うと
今ではそう思います。
環境のせいにするだけで、何も行動しなければ、何も変わらないのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
以上、私の一歩でした。
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