もしかしたら、自分は「異常」なのかもしれない。
そう気づいたのは、大人になってからのことでした。
よく考えてみると、それは環境のせいなのか、生まれつきなのか。
自分でも「変だな」と感じることが、いくつもありました。
異常なまでに空気を読む子供と、早すぎた疑問
最初に「なんか変だな」と思ったのは、保育施設での何気ない日常でした。
園児たちが騒ぎ出して歯止めが利かなくなると、保育士さんが怒ってその場を鎮める
ということがよくあると思いますが、
私はその状況を理解し、さらに他の園児に疑問を抱いていました。
いつも園児が騒ぎ出すと私は、「空気」を感じ取ります。
保育士さんたちが怒りに向かうのを察知するのです。
そうなると私は静かにそっと席に着くのです。
すると、その数秒後保育士さんが怒り、いつものように制止させます。
そのたびに必ず、
「○○さんはいつも静かにしていて偉い」
「みんなも、そうしなさい」
と言うのです。
私は自分が優れているとか、いい子供だとかそんな事は一切思わなかったのですが
ただ、
なぜみんなは、毎回怒られているのに、また同じことをするんだろう。
小さな私は、ただ静かにそう思っていたのを覚えています。
突然に襲いかかる、死の恐怖
違和感や疑問だけでなく、「恐怖」も感じていました。
それは今でもはっきりと覚えている、衝撃的な体験です。
小学低学年の頃、いつものように布団に入り、眠ろうとしていたときのことです。
目をつむると頭の中が騒々しく、なかなか寝付けません。
そのとき、ふとある考えが頭をよぎりました。
電気を消して目をつむると、当然ながら目の前は真っ暗です。
「もし死んだら、この真っ暗な闇の中に包まれるのだろうか?」
さらに、耳も聞こえず、声も出せず、感触もなく──
「死後の世界は“無”なのか」と考えたのです。
それは、ただの子供の死への恐怖ではありませんでした。
あまりの恐怖に体が震え、息が詰まり、大声で泣きわめきました。
とてつもない恐怖だったのを覚えています。
まるでパニック発作のような状態だったと思います。
ずっと心に残る不安
それからというもの、何度も魘されるような夜を過ごすようになりました。
眠るのが怖くて、布団に入るのが嫌になる日もありました。
大人になってから知ったのですが、これは
「タナトフォビア(死の恐怖症)」と呼ばれる状態らしいです。
当時の私はまだその言葉を知りませんでした。
はっきりとした原因はわかりませんが、当時の家庭環境や生死が身近にあったことが、
きっかけだったのかもしれません。
現在は、このようなパニックが起こることはありませんが、
もしまた生死に直面するような出来事があったとしたら、再発するのではないか――
そんな不安が、心の奥底に今も静かに残っています。
これらが、私が自分自身に対して抱いた、最初の“違和感”でした。
そしてそれは、私という存在を形づくる核でもあり
これから綴っていく話のすべてに、深く関わっていくのです。
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