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	<title>しのぶ &#8211; しのぶの備忘録</title>
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	<title>しのぶ &#8211; しのぶの備忘録</title>
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		<title>自分ではなくなっていくまでの記録</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Feb 2026 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[心の記録]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[エンパス]]></category>
		<category><![CDATA[普通]]></category>
		<category><![CDATA[異常]]></category>
		<category><![CDATA[過剰適応]]></category>
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					<description><![CDATA[普通になりたかっただけだった。
人の気持ちを考え、誰も傷つけないように生きようとした。
気づいたときには、自分が何者だったのかさえ分からなくなっていた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">他人の事を考えない自己中心的な子供時代</h2>



<p>昔の自分は、全くと言っていいほど人の気持ちが理解できなかった。<br>生まれ育った環境によって、考え方が一般的な人と異なっていた、というのもあるが、そもそも他人を理解しようとしていなかったのだと思う。</p>



<p>自分の気持ちを最優先し、都合が悪くなればその場から逃げる。<br>子どもとはそういうものだと言われればそれまでだが、それにしても度が過ぎていたと思う。</p>



<p>以前の記事で触れたように、いじめを受けたときも、いじめる側の気持ちを考えようとはせず、<br>「自分は何も悪くない」「あいつらが異常なんだ」と決めつけ、考えることから逃げていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">変化のきっかけ</h2>



<p>この考え方が変わったのは、「この瞬間から変わった」というような急激なものではなく、<br>少しずつ段階を踏んで変化していった結果だった。</p>



<p>人は大人になるにつれて、自然とそうなっていく。<br>確かにそれは事実だと思う。<br>ただ、自分はその過程を歪ませてしまった。<br>本来進むはずだったルートから外れ、それがそのまま自分の核になってしまった。</p>



<p>最初の変化は、これも以前の記事で書いた、<br>いじめの最中に起きた転校だった。</p>



<p>「このままの自分ではいけない」<br>自分を変えようとする、ほんの小さな変化だった。</p>



<p>この時点では、まだ他人のことを考えられるわけでもなく、<br>自分の何が悪いのかも理解していなかった。<br>ただ、「何かがおかしい」「このままではよくない」という感覚だけが芽生え始めていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の居場所が欲しいと思った</h2>



<p>その後、環境は徐々に緩和され、<br>少人数ではあるが、友達のような存在ができた。</p>



<p>ただ、そこで感じていたのは、<br>それはあくまで「友達のようなもの」であって、<br>少し下に見られていたり、仕方なく輪に入れてもらっていたりする立場だったということだ。</p>



<p>その人たちが、本当の友達同士で楽しそうに遊んでいるのを見て、<br>自分は強い羨ましさを感じていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">思考の大きな分岐点</h2>



<p>そこから、少しずつ他人の気持ちを考えるようになった。</p>



<p>それ以降、学生生活の間、<br>他人の思考や感情をひたすら分析し、同時に自分自身も見つめ直し続けた。</p>



<p>「普通の人は何を考え、何を感じているのか」<br>「自分はなぜ人と違うのか」</p>



<p>おそらく学生生活の終盤には、<br>普通の人と同じか、あるいは少し敏感な程度にはなっていたと思う。</p>



<p>今振り返れば、この辺りでやめておけばよかった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の核となるもの</h2>



<p>社会人になってからも、この習慣は続いた。<br>というより、「やめてはいけない」「人として当然すべきことだ」と感じていた。</p>



<p>なぜ、そんな考え方になったのか。</p>



<p>それは、生活環境や学校生活、自分自身の思考の変化などが複雑に絡み合い、<br>他人や自分を理解し、考えることで、<br>「他人に嫌な思いをさせないことこそが正義だ」と感じるようになったからだ。</p>



<p>理由は単純だった。</p>



<p>自分はこれまで、嫌な体験や苦しい思いを何度もしてきた。<br>泣き、苦しみ続けてきた人生だった。</p>



<p>だから、自分がされて嫌だったことを、他人にはしたくない。<br>誰かが嫌悪したり、悲しんだりする空間を作りたくない。</p>



<p>それらを「悪」と捉え、<br>お互いにそうしたものを生み出さないようにすることが、<br>人間としての常識なのだと考えるようになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">行き過ぎた共感が生んだ地獄</h2>



<p>しかしその結果、人生は良くなるどころか、<br>まったく別のベクトルの地獄へと向かっていった。</p>



<p>今だからわかることだが、<br>あの頃から自分は「普通」を通り越し、<br>行き過ぎたレベルで他人の心を読もうとし、<br>それに必死で対応しようとする反射が染みついていた。</p>



<p>HSPやエンパス、過剰適応に近い状態が、<br>自分の中に現れていたのだと思う。</p>



<p>社会人生活を送る中で、それらはさらに悪化し、<br>他人に合わせて自分を押し殺す、負の循環に陥っていった。</p>



<p>嫌なことを押し付けられ、利用され、<br>裏では馬鹿にされる。</p>



<p>それでも、この反射は止まらなかった。<br>むしろ精度を増し、考えるより先に行動が出るようになっていた。</p>



<p>結局、「普通になりたい」と願った自分は、<br>異常から普通を通り越し、再び異常な状態に辿り着いていたのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">なぜやめられなかったのか</h2>



<p>「なぜ途中でやめなかったのか」と疑問に思うだろう。<br>だが、それがどうしてもできなかった。</p>



<p>理由はいくつかあるが、どれも単純だ。</p>



<p>まず、他人を嫌な気持ちにさせたくなかった。<br>それぞれがそう振る舞うことこそが、本来あるべき平和な形だと考えていた。</p>



<p>さらに、これに反することは、<br>これまで自分を貶め、嫌悪してきた人間と同じになることだと思っていた。</p>



<p>そして、自分がこれをやめれば、<br>代わりに苦しむ人が出てくると考えていた。</p>



<p>これができる人間は多くない。<br>自分だけとは言わないが、極めて少数だと思っていた。</p>



<p>だからこそ、この行動に責任を感じ、<br>「自分がこの役を引き受けるしかない」と、そう思い込んでいた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在と、唯一の願い</h2>



<p>今では、少し外に出るだけでも、<br>たとえ身近な人との会話であっても、<br>心身ともに強い疲労を感じ、異常が出る。</p>



<p>普通に働くことも、長時間外に出ることも難しい。<br>未来に希望を見出せず、ただ月日だけが過ぎていく。</p>



<p>自分なりに調べ、考え続けてきたが、<br>もうどうにもならないところまで来てしまったと悟った。</p>



<p>それでも、ひとつだけ気になっていることがあり、<br>それが唯一、自分のしたいことでもある。</p>



<p>それは、自分と同じくらいの度合いで、<br>同じようなことをしてきた人間が他にも存在するのか、<br>もし存在するなら、その話を聞いてみたい、ということだ。</p>



<p>これは自慢でも傲慢でもない。<br>これまで、自分と同じような精度や感覚を持つ人を、<br>一度も見たことがない。</p>



<p>その人はどのような過程を辿り、<br>今、どのように生活しているのかを知りたい。</p>



<p>もっとも、自分と同じ感覚を持つ人間は、<br>表に出ることも少なく、行動も慎重であるはずだ。</p>



<p>それが叶うことは、きっとほとんどないのだろう。</p>



<p>これからも自分を押し込み、他人に合わせ、<br>苦しみながら、さらに精度を増しつつ生きていくのだと思う。</p>
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		<title>人に頼れなくなった理由は、子どもの頃に身についた考え方だった</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/cant-ask-for-help/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 17 Dec 2025 12:20:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[人に頼れない]]></category>
		<category><![CDATA[子どもの頃の記憶]]></category>
		<category><![CDATA[家庭環境]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[考え方の癖]]></category>
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					<description><![CDATA[人に頼れないのは性格ではなく、子どもの頃に身についた考え方だった。今も変わらない自分と、そこから選んだ生き方について書いています。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="is-style-dent_box">子どもの頃、何かを買ってほしいと親にお願いしても、<br>叶うことは、ほとんどなかった。<br><br>それがいつしか、<br>「お願いしても無駄だ」<br>という考え方になっていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">お願いしても叶わなかった子どもの頃</h2>



<p>そういう経験が、何度も続いた。</p>



<p>それが自分の中で当たり前になり、<br>お願いしても買ってもらえないのが<br>普通だという認識に変わっていった。</p>



<p>だんだん、<br>お願いをすること自体が<br>無くなっていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「頼ることはいけない」と思うようになった</h2>



<p>人にお願いすること、<br>頼ることは、<br>よくないことだと<br>自分の中で位置づけられてしまった。</p>



<p>大人になって、<br>何も言えなくなってしまった。</p>



<p>むしろ、<br>言おうという考えすら<br>持たなくなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一人で背負い続けた結果、今も残っていること</h2>



<p>この行為は、<br>他人に負荷をかけることだと<br>感じていた。</p>



<p>自分の成長を妨げる<br>弱い部分だとも<br>思っていた。</p>



<p>その結果、<br>自分ですべてを背負い込み、<br>蓄積し、<br>身も心も<br>ボロボロになっていった。</p>



<p>今でも、<br>誰かに何かを<br>お願いすることはできない。</p>



<p>だからこそ、<br>周りに頼らなくても<br>進める自分でありたいと思っている。</p>



<p>それは強がりではなく、<br>今の自分が選べる、<br>生き方の一つだ。</p>


<div class="swell-block-postLink">			<div class="p-blogCard -external" data-type="type3" data-onclick="clickLink">
				<div class="p-blogCard__inner">
					<span class="p-blogCard__caption">しのぶの備忘録</span>
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						<span class="p-blogCard__excerpt">私には、父が2人います。 幼い頃に両親が離婚し、その後まもなく、母は別の男性と再婚。 そうして「血のつながらない父」と暮らす日常が始まりました。 今回は、その継父と&#8230;</span>					</div>
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			</div>
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		<title>いじめと闘病を通して知った、共感の限界と誤解</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Oct 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
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		<category><![CDATA[他人の価値観]]></category>
		<category><![CDATA[共感とは]]></category>
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		<category><![CDATA[闘病体験]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>闘病による制限からいじめを受けた私が、その経験から学んだ「共感の限界」と「誤解の正体」。価値観が揺らいだ瞬間の記録。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>重度の基礎疾患に苦しんでいた頃、ある同級生に</p>



<p>「<strong>自分も同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>と言われました。</p>



<p>当時の私には、<strong>追い打ちをかけるような言葉</strong>に感じたのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">幼少から続く闘病生活と、終わらない苦しみ</h2>



<p>私は、2歳頃から<strong>闘病生活</strong>を送っていました。</p>



<p>病状はかなり重く、さまざまな病院を回ったり、入院しながら治療を受けたりしていました。</p>



<p>もちろん、それ自体もとても苦しいものでした。<br>けれど、少し状態が落ち着き、どうにか気をつけながら普通の生活を送り始めても、<br>困難は終わっていませんでした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「みんなと同じ」が、どうしてもできなかった</h2>



<p>小学校には通えるようになったものの、制限はかなり多くありました。<br>飲み物や食べ物、運動など、みんなと同じようにとはいきません。</p>



<p>みんなが普通に口にしているものが、<strong>私には食べられない</strong>。<br>体育や休み時間に外で元気に体を動かしているのに、<strong>私は動けない</strong>。</p>



<p>ただ、自分にとっては、これでも“昔に比べれば”制限がゆるくなった方でした。<br>だからこそ、まだ我慢できていたのです。</p>



<p>けれど、<strong>周りの中には、それが我慢できない人もいたのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">とどめは、何気ない一言だった</h2>



<p>食べられない、動けない。<br>でもそれは、他人から見れば「食べなくていい」「動かなくていい」と映るのでした。</p>



<p>嫌いなものを我慢して食べている子。<br>苦手だけど我慢して運動している子。<br>そんな子たちにとって、<strong>私は“ずるい子”に見えた</strong>のです。</p>



<p>そして、そこから<strong>いじめへと発展</strong>していきました。</p>



<p>病気が少し良くなってきたと思ったのに<br>また、苦しい生活が始まるのかと思いました。</p>



<p>特別扱いされてずるい、<br>病気がうつるから近寄るな<br>そんな言葉をかけられていました。</p>



<p>私なりに説明はしていたのですが、<br>聞いてもらえることはほとんどなく、<br>だんだんと何も言えなくなっていきました。</p>



<p>そんな苦い学校生活を送っていたある日、<br>同級生のひとりに、こう言われたのです。</p>



<p>「<strong>自分も、同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>その一言で、<strong>いじめは加速</strong>しました。</p>



<p>その子が言ったことは、きっと嘘ではなかったのでしょう。<br>でも、その子はみんなと同じものを食べ、同じように運動もできていました。</p>



<p>「じゃあ、おかしいよね」</p>



<p>周りの子たちは、そう思ったのです。<br>何気ないその一言が、私にとって<strong>とどめの一撃</strong>になりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">傷つきからの気づき</h2>



<p>こんな病気を抱えて、苦しい思いをして、<br>なんとか生活してきた。</p>



<p><strong>自分は何も悪くないのに。</strong><strong><br></strong><strong> こんなに辛いのに。</strong></p>



<p>そう思う反面、<br>「<strong>自分は甘えて逃げているだけなんじゃないか</strong>」<br>そんなふうに考えてしまうこともありました。</p>



<p>ずっとこんな生活をしてきたから、<br>これが“当たり前”になっていたけど、<br>もしかすると、それは間違っていたのかもしれない。</p>



<p>そしてこの出来事を通して、私が痛感したのは、<br><strong>人は、簡単には他人の気持ちを理解できない</strong>ということ。</p>



<p>共感することは難しい。<br><strong>簡単に共感してはいけないのかもしれない。</strong></p>



<p>そう感じるようになりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">見えているものの奥を想像する力</h2>



<p>今では、このいじめの件について、<br>「仕方がなかったこと」だと受け止めています。</p>



<p>誰かが悪いという話ではなく、<br>あの状況では<strong>必然的に起こってしまったこと</strong>だったのでしょう。</p>



<p>「自分ができないこと」が、<br>「<strong>他人の“しなくていい”</strong>」に見えることもある。<br>「<strong>他人の気持ちがわからない</strong>」ことも当然で──<br>それは、自分にも当てはまることです。</p>



<p>私は、そのことを理解し、受け入れるようになりました。</p>



<p>そして今では、<br><strong>「見えているものの奥に、どんな背景があるのかを考える」</strong><strong><br></strong> そう答えを出しました。</p>



<p><strong>誰かの幸福は、誰かの不幸かもしれない。<br>逆に、誰かの不幸が、誰かの幸福につながっている</strong>こともある。</p>



<p>「自分もこうだったから、きっとこの人の気持ちがわかる」<br>そう思っていても、まったく違うこともあります。</p>



<p><strong>自分の価値観だけで、物事を決めつけてしまうのは、とても危険なこと。</strong><strong><br></strong> それは、混乱や争いを生みかねない。</p>



<p>私はこの経験を通して、<br>そんなことを学ぶことができました。</p>







<h2 class="wp-block-heading">まとめ</h2>



<p>今回は、私なりの見解でお話ししましたが、<br>人によっては、違う受け取り方をする方もいるかもしれません。</p>



<p>この記事を読んで、何か感じたこと・思ったことがあれば、<br>どんな些細なことでも構いませんので、ぜひコメントで教えてください。</p>



<p>この内容が、誰かにとっての「気づき」や「関心を持つきっかけ」になれば、嬉しく思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">余談</h2>



<p>ドラマや映画などの感動作品を観たとき、<br>私は、<strong>あまりにも簡単に共感してしまうのは失礼</strong>なのでは…と感じてしまい、<br>どうしても感情移入しきれないことがあります。</p>



<p>また、リアルでさまざまな経験をしてきたせいか、<br>作中の展開やセリフに、ふと違和感を覚えることもあります。これは私の“あるある”なのですが、<br>同じように感じる人、他にもいるのでしょうか？</p>




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		<title>心が壊れた私、うつ病と診断された日。休職と退職を経て、どん底にいたあの頃の話</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Sep 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[心の記録]]></category>
		<category><![CDATA[うつ病体験談]]></category>
		<category><![CDATA[ブラック企業]]></category>
		<category><![CDATA[休職]]></category>
		<category><![CDATA[孤独]]></category>
		<category><![CDATA[強制退職]]></category>
		<category><![CDATA[心が壊れた]]></category>
		<category><![CDATA[心療内科初診]]></category>
		<category><![CDATA[精神疾患と仕事]]></category>
		<category><![CDATA[精神的限界]]></category>
		<category><![CDATA[自己肯定感の低下]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/09/Frame-53-9-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>ある朝、突然心が壊れた──。うつ病と診断され、休職、そして強制退職へ。負の連鎖に飲まれた日々を振り返り、今思うことを綴ります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/09/Frame-53-9-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p><strong>ある朝、目が覚めると、私は壊れていました。</strong></p>



<p>自分でも何が起きているのか分からない。</p>



<p><strong>それが、私が初めて「精神の崩壊」というものを経験した瞬間でした。</strong></p>



<p>今回は、人が極限状態になるとどうなるのか、話そうと思います。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">心が壊れてしまい、はじめての心療内科へ</h2>



<p>きっかけは、前日にショックな出来事があったことでした。<br>その夜はなかなか眠れず、頭の中ではいろいろな思考が渦を巻いていました。<br>たくさんのことを考えているようで、でも実際には何も考えられていない<br>そんな状態でした。</p>



<p>翌朝、何も手につかず、とりあえず「体調が悪い」とだけ伝えて、会社を休むことにしました。<br>けれど、自分でもわかっていたのです。体に異常があるわけじゃない。<br><strong>異変は、心のほうに起きていたのだと。</strong></p>



<p>体が思うように動かない。<br>けれど、何もしないわけにはいかない。</p>



<p>その時はまだ、「早く治して、仕事に戻らなきゃ」と思っていました。<br><strong>気力を振り絞って、私は初めて<br>心療内科という場所を訪れることになったのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">うつ病との闘い</h2>



<p>自分の状態を話したところ、<strong>「うつ病」と診断されました</strong>。<br>何となく、そんな気はしていたものの<br>いざ自分が当事者になると、やはり衝撃は大きかったことを覚えています。</p>



<p>話には聞いていたけれど、まさか自分がなるなんて。</p>



<p>医師との話し合いの結果、<br>一ヶ月の休職と通院をすることになりました。<br>薬を受け取って、その日はそのまま帰宅。</p>



<p><strong>頭の中は負の感情で埋め尽くされ、<br>廃人のような生活を送っていたと思います。</strong></p>



<p>何もかもが嫌になって、一歩も動けない。<br>ただただ、押しつぶされそうになりながら<br>時間だけが過ぎていきました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">極限状態に連鎖する不幸</h2>



<p>1週間ほど経った頃、インターホンが鳴りました。<br>誰かが家を訪ねてきたのです。</p>



<p>誰にも会える状態ではなかった私は、居留守をすることに。<br>しかし、「○○ですけどー」と、相手は名乗りました。<br>会社の人でした。</p>



<p>出ないわけにもいかず、玄関を少しだけ開けて対応することに。</p>



<p>最初にかけられた言葉は、「調子はどう？」でした。<br>私は経緯を説明し、まだ回復していないことを伝えました。</p>



<p>相手は「そっか」と一言。<br>その直後、「中で話そう」と言って、強引に家の中に入ってきたのです。</p>



<p>そしておもむろに、<br><strong>「来た理由、わかるよね？」</strong><br>そう言って、<strong>自主退職という名の“クビ”を宣告されました</strong>。</p>



<p>何が起きたのか、理解が追いつきませんでした。<br>確かに診断書を出し、1ヶ月の休職を認めてもらったはず。</p>



<p>頭の中に、前の記事で書いた「ブラック企業」での記憶がフラッシュバックしました。</p>



<p><strong>極限状態にいた私の心に、さらなる絶望とトラウマがのしかかりました。</strong><br>対抗する元気などあるはずもなく、<br>私はその日限りで、退職することになったのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">あの頃の私の想い</h2>



<p>この経験は、私の人生の中でも、間違いなく“上位”にくるほどの辛さでした。</p>



<p>当時は、「つらい」とか「しんどい」といった感情と言うより<br>それらをすでに通り越していて、<br>自分が何を感じているのか、何を考えているのか<br>私自身にも、まったくわからなかったのです。</p>



<p>例えるなら、頭の中であらゆる思考が猛スピードで交差し、<br>ノイズが走っているような、そんな感覚。</p>



<p>「この先、自分はどう生きていけばいいのか」<br>「元に戻れる日は来るのか」</p>



<p>人生のどん底にいるような感覚。<br>もともとあった“人に対する苦手意識”も、さらに加速していきました。</p>



<p><strong>生きる気力もない。でも、死ぬこともできない。</strong></p>



<p><strong>「何をもって“生きる”と言うのか」<br>「人生とは、いったい何なのか」</strong></p>



<p>頼る人もいない私は、<br>ただひとり、孤独の中で打ちひしがれていたのを覚えています。</p>



<h2 class="wp-block-heading">振り返って今思う事</h2>



<p>今振り返ってみると、<br>あの出来事は、私の人生において間違いなく<strong>大きな分岐点のひとつ</strong>だったと思います。</p>



<p>自分の弱さ、脆さ、そして精神の不安定さ<br>それらをはっきりと自覚し、真正面から向き合うきっかけになりました。</p>



<p>もちろん、あの事態がすべて「自分のせい」だとは思っていません。<br>むしろ、取り巻く環境や、どうしようもない不運の積み重ねが<br>大きな原因だったと今でも感じています。</p>



<p>けれど、環境や運命を責め続けても、何も変わらない。<br><strong>変えられるのは、自分自身だけ。</strong><strong><br></strong>そのことに気づく事ができました<strong>。</strong></p>



<p><br>あのときの自分には、到底そんな考えにたどり着く余裕はなかった。</p>



<p>でも今では、あの経験が<strong>自分の土台の一部</strong>になっていると、確かに思えます。</p>



<p>環境や他人に振り回されることも少なくなり、<br><strong>今の私は、自分の意思と行動で、人生を進めることができています。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">同じように苦しむ誰かへ</h2>



<p>今回は、私が人生のどん底に落ちたときの話を語りました。</p>



<p>皆さんはどうでしょうか。<br>人生のどん底を感じたことがある人は、きっと少なくないと思います。<br>今まさにその渦中にいる人も、いるかもしれません。</p>



<p>この記事を読んで、そんな方の気持ちが少しでも楽になったり、<br>何かのきっかけになれたら嬉しいです。</p>



<p>また、すでに乗り越えた方がいれば、<br>どんな経験をして、どうやって乗り越えたのか<br>よければコメントで教えてもらえると嬉しいです。</p>



<p>最後に、これは私の持論なのですが……<br>私は「あの経験をしてよかった」とは、思っていません。</p>



<p>よく「辛い経験が自分を成長させてくれた」と語る人がいます。<br>その気持ちも分かります。<br>でも私は、<strong>そんな経験をしないで済むのなら、その方が絶対にいい</strong>と思っています。</p>



<p>辛い経験を活かせるかどうかは、内容や状況、そして運に左右されます。<br>必ずしも、そこからプラスを生み出せるとは限らない。<br>そのまま悪い方に進んでいく人も、たくさんいます。</p>



<p>だから私は、<strong>無理にそれを美談にする必要なんてない</strong>と思っています。</p>



<p><strong>辛いものは、辛い。<br>無理にポジティブに変えなくていい。</strong></p>



<p>今、同じように苦しい思いをしている人がいたら、<br><strong>どうか「自分が少しでも楽になる」ことを第一にしてください。</strong><br>逃げても、止まっても、いいと思います。</p>



<p>最後まで読んでくださって、ありがとうございました。</p>


<div class="swell-block-postLink">			<div class="p-blogCard -external" data-type="type3" data-onclick="clickLink">
				<div class="p-blogCard__inner">
					<span class="p-blogCard__caption">しのぶの備忘録</span>
					<div class="p-blogCard__thumb c-postThumb"><figure class="c-postThumb__figure"><img decoding="async" src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-4.png" alt="" class="c-postThumb__img u-obf-cover" width="320" height="180"></figure></div>					<div class="p-blogCard__body">
						<a class="p-blogCard__title" href="https://shinobu-bibou.com/black-company-start/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">「怒られないように生きる」──ブラック企業で身についた私の処世術 | しのぶの備忘録</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">初めての就職先は、小さな会社でした。 そこには、時が止まったような、少し古びた空気が流れていて── まるでタイムスリップしたかのような、不思議な感覚の中で働いていま&#8230;</span>					</div>
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			</div>
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		<title>自分を知るとはどういうことか？ 私の気づきと変化</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/know-yourself/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 13 Aug 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[いじめ]]></category>
		<category><![CDATA[人間関係]]></category>
		<category><![CDATA[気づき]]></category>
		<category><![CDATA[社会人経験]]></category>
		<category><![CDATA[考え方の変化]]></category>
		<category><![CDATA[自分を知る]]></category>
		<category><![CDATA[自己対話]]></category>
		<category><![CDATA[自己成長]]></category>
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					<description><![CDATA[自分のこと、本当にわかっていますか？──いじめや社会人経験を通して「自分を知ること」の意味に気づいた私の記録です。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p><strong>皆さんは、自分のことをどれくらい理解しているでしょうか。</strong><strong><br></strong>「わかっているつもり」でも、実はあまりわかっていない<br>そんなことは意外と多いものです。</p>



<p>かく言う私も、昔は自分自身のことをよく理解できていませんでした。<br>ただ、幸いなことに、<strong>比較的早い段階でそのことに気づくことができた</strong>のです。</p>



<ul class="wp-block-list">
<li>何がきっかけで気づいたのか<br></li>



<li>気づいたことで何が変わったのか<br></li>



<li>なぜ“気づくこと”が大事なのか<br></li>
</ul>



<p>今回は、私の人生や考え方をもとに、そんなお話をしていこうと思います。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">最初に“自分”に気づいた日──いじめと向き合って</h2>



<p><strong>最初に“自分”に気づいたのは、小学生のときでした。</strong></p>



<p>基礎疾患による見た目の問題で、いじめを受けていました。<br>この問題を解決するために、私は真剣に自分と向き合ったことがあります。</p>



<p>原因を考えたとき、「本当に見た目だけが理由なのか？他にもあるのでは？」<br>そう考えるようになりました。</p>



<p>そこで行きついたのが、自分の“性格”でした。<br>自覚はありませんでしたが、周りから見た私は──<br><strong>表情が暗い／声が小さい／動きが鈍い。</strong></p>



<p>こうした点が、いじめの原因になっているのではないかと思うようになったのです。</p>



<p>その後、諸事情で転校することになった私は、それをきっかけに、少しずつ自分を変えていきました。<br>すると、環境も少しずつ変わっていきました。</p>



<p>このとき私は初めて、<strong>“知らなかった自分”を知った</strong>のです。</p>



<p>ただ、ここで一つ大切なことがあります。<br>この体験だけで「自分のすべてを理解できる」わけではないということです。<br>だからこそ私は、「最初に気づいたのが」と、あえてそう書きました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新社会人になって知った「ズレた私」</h2>



<p><strong>次に“気づき”があったのは、新社会人になったときでした。</strong></p>



<p>学生の頃は、自分で関わる人・環境・スケジュールをある程度管理できます。<br>でも社会人になると、そうはいきません。</p>



<p>コミュニケーションがより重要になり、<br>いろんな人と、いろんな場面で会話や作業をするようになります。<br>その中で、指摘されたり、怒られたり、教えられたりする場面が増えます。</p>



<p>そうした中で私は、<br><strong>自分がズレた考えをしていたこと、甘い思考をしていたこと、</strong><strong><br></strong><strong>逃げることばかり考えていたこと</strong>に気づきました。</p>



<p>本心や思考のクセ、それが周囲や自分にどんな影響を与えていたかを知って、<br>驚きとともに、「このままではよくない」と感じたのです。</p>



<p>それ以来、私は何か行動したり判断したりする前に、<br>一度立ち止まって、自分に問いかけるようになりました。</p>



<p><strong>「自分は本当はどう考えているのか？」</strong><strong><br></strong><strong>「本当にそれが正しいのか？」</strong></p>



<p>そうやって自分と向き合うようになると、<br>周囲の人の対応にも、少しずつ変化が見え始めました。</p>



<p>この“対話”ができるようになってから、自分への理解が一気に深まった気がします。</p>



<p>とはいえ、人は常に変化します。<br>「以前はこう考えていたけど、今は違う」<br>そんなこともよくあります。</p>



<p>知っていることが増えると同時に、知らないこともまた増えていく。<br><strong>自分を理解するということは、常に続いていく行為</strong>なのだと実感しました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">気づける力が、私を変えた</h2>



<p>それからも、何度か自分を知る場面がありました。<br>現在では、かなりの解像度で自分を理解しています。<br>さらに、無意識のうちに自分の行動や判断の本心を捉えられるようになり、<br>心境の変化にもすぐ気づくことができます。</p>



<p>この「気づける」ということができるようになると、<br>自分の弱い部分やダメな部分をすぐに見つけることができ、<br>それに対する対処も考えられるようになります。</p>



<p>昔のような甘い考えや、逃げ癖が出ないようにもできるし、<br>逆に、本当につらいときには、自分を逃がしてあげる・寄り添ってあげることもできます。</p>



<p>つまり、自分をコントロールし、自己成長ができるようになるのです。</p>



<p>年齢を重ねるにつれ、指摘してくれる人は減り、<br>自分自身も固定概念に縛られがちになります。<br>だからこそ、「自分を知る」ということはとても大切なのです。</p>



<p>もちろん、今の私も自分を完璧に理解しているわけではありません。<br>変化し続ける以上、その瞬間はきっと訪れないでしょう。</p>



<p>それでも私は、常に自分と向き合うことを大切にし、<br>これからもそうありたいと心がけています。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「きっかけ」は自分を知る最大のチャンス</h2>



<p>このように私は、何かのきっかけで自分を知ることがよくありました。</p>



<p>そしてこの「きっかけ」こそが、自分を知るための一番のチャンスだと思っています。</p>



<p>ただしこれは、誰にでもすぐに起きるものではありません。<br>なにもきっかけがなかった人、気づけなかった人もいるでしょう。</p>



<p>けれど、たとえきっかけがなくても、「気づくこと」はできます。</p>



<p>皆さんも、何かを行動するとき、何かを判断するとき、<br>いちど立ち止まって、自分と向き合ってみてください。</p>



<p>自分を知ることは、きっと自分にとって「良いこと」しかありません。</p>



<p>このブログが、そんな気づきのきっかけになれば嬉しいです。</p>



<p>私の人生や考え方については、これまでの記事でもお話ししています。<br>今回冒頭で触れた「いじめ」の話についても過去に書いていますので、<br>ぜひあわせて読んでいただければと思います。</p>



<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>「死にたい」と思いながら生きてきた、私の話</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/about-death/</link>
					<comments>https://shinobu-bibou.com/about-death/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 26 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[#死にたいと思ったこと]]></category>
		<category><![CDATA[#無気力]]></category>
		<category><![CDATA[#精神的な疲労]]></category>
		<category><![CDATA[#自殺未遂]]></category>
		<category><![CDATA[しのぶの備忘録]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-8-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>幼い頃から「死にたい」と思い続けてきた私が、なぜ今こうして生きているのか。その理由と葛藤、自分なりの答えを率直に綴りました。
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-8-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>「死にたい」</p>



<p>幼い頃から何度も考えた。</p>



<p>実際、死のうとしたことも何回かある。</p>



<p>そんな生活を繰り返して、今、“死”というものに対して</p>



<p>私が思う事。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">私の「死にたい」という気持ち</h2>



<p>基礎疾患、いじめ、ブラック企業など、いろんな場面で、事あるごとに</p>



<p><strong>「死にたい」と感じていました。</strong></p>



<p>その時によって意味合いは少し変わりますが、</p>



<p>「疲れたから終わりにしたい」というイメージです。</p>



<p>渦中にあるとき、一切停まることは許されず、</p>



<p>延々とマラソンをしている気持ちになります。</p>



<p>しんどくても、のどが渇いても、足が痛くても</p>



<p><strong>休むことは許されません。</strong></p>



<p>ゴールにはいつたどり着けるのか、本当にあるのか。</p>



<p>自分は何のためにこんなことをしているのか、わからなくなります。</p>



<p>生まれてこなければよかったとさえ思っていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">私が“死ねなかった”理由</h2>



<p>常に何か問題が起きていて、そのたびに「死にたい」と感じていた私が、</p>



<p>なぜ、ずっと踏みとどまっているのか。</p>



<p>それは、自分の命を放棄することは、私にとって責任が大きすぎたからです。</p>



<p>以前、私の基礎疾患について書いた記事があります。</p>



<p>そこにも書きましたが、私は幼い頃から基礎疾患を抱えていて、</p>



<p>死に直面することが何度もありました。</p>



<p>生き続けられたのは、母親が自分の人生を犠牲にして守ってくれたからです。</p>



<p>そんな私の命を、私はたやすく放棄することはできませんでした。</p>



<p>どんなにつらくても、走り続けるしかなかったのです。</p>



<p>これは、ポジティブな感情ではなく、</p>



<p>ネガティブな感情としての<strong>「義務感」</strong>でした。</p>



<p>この経験が足を引っ張って、楽になれない。</p>



<p>そう感じていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">実際に自殺を試みて、分かったこと</h2>



<p>とはいえ、自殺を試みたこともあります。</p>



<p>ふと、本当に死ねるのか。簡単なのか、難しいのか。どんな気持ちになるのか。</p>



<p>そんな好奇心が「死にたい」という気持ちの背中を少し押したのです。</p>



<p>タイミングはバラバラですが、これまでいくつか実行してみました。</p>



<p>これを書いている時点で、死ねていないというのが答えですが、</p>



<p>その過程で、いろいろと分かったことがありました。</p>



<p>まず、<strong>「簡単ではない」という事</strong>。</p>



<p>人の体は思ったよりも頑丈にできていて、そう簡単には死に直結しないのです。</p>



<p>結構な労力や力が必要で、<strong>「面倒くさいな」と感じたのを覚えています</strong>。</p>



<p>次に、意外にも“死”に対しての恐怖心はあまりなかったということ。</p>



<p>いざ実行となると死ぬのが怖くてできない。</p>



<p>そうなると思っていたのですが、そこは問題ありませんでした。</p>



<p>最後に、やっぱり命の重みが私にのしかかってくるということ。</p>



<p>この経験を得て、私はどれだけ辛いことがあっても</p>



<p><strong>死ぬという選択肢は取れないのだと気づいたのです</strong>。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在の「死にたい」という気持ち</h2>



<p>今になっても「死にたい」と思うことは頻繁にあります。</p>



<p>いろんな経験を経て、私は人にストレスを感じるようになりました。</p>



<p>そんな私が、人としてこの世の中で生きているのだから、</p>



<p>当然、この気持ちは無くなりません。</p>



<p>実際に「死にたい」という意味ではありません。</p>



<p>あくまで、「面倒くさいから終わりたい」という気持ちです。</p>



<p>もし、<strong>ストレスを感じない方法があれば、死ぬ必要はありません</strong>。</p>



<p>ただ、何十年必死に調べても、そんな方法は存在しないのです。</p>



<p>他人に悟られることなく、相手に合わせて対応し、</p>



<p>一人ひっそりと、この感情を押し殺していくしかない。</p>



<p>これからも、そんな意味のない人生を、ただただ繰り返していくのでしょう。<br><br><br><br></p>



<p>「死にたい」と思ったことがある人は、少なくないと思います。</p>



<p>人によって、とらえ方や程度はそれぞれ違うでしょう。</p>



<p>同じように感じてる皆さんも、きっと本当に「死にたい」わけではなく、</p>



<p><strong>それしか選択肢が無いからだと思います</strong>。</p>



<p>いつか、最善の解決策が見つかることを、心から願っています。</p>



<p>最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>感情がないと言われて。私は本当にそうなのか、自分と向き合った</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/no-emotion/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[感情との向き合い]]></category>
		<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[しのぶの備忘録]]></category>
		<category><![CDATA[感受性]]></category>
		<category><![CDATA[感情がない]]></category>
		<category><![CDATA[感情表現]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自分探し]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-7-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「感情がないよね」──そう言われたあの日。怒りも悲しみもなく、ただ驚いた私が、自分と向き合いながらたどり着いた“本当の感情”とは。人に合わせて生きてきた日々と、その苦悩、そして今の私を語ります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-7-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>ある日、同級生にこう言われました。</p>



<p>「○○って、<strong>感情がないよね</strong>」</p>



<p>怒るでもなく、悲しむでもなく</p>



<p>私はただ、驚いてしまったのを覚えています。</p>



<p>今回は、そんなふうに<strong>人からどう見られていたのか</strong>、</p>



<p>そしてそれに<strong>どう向き合ってきたのか</strong>を振り返ります。</p>



<p>自問自答をくり返しながら歩んできた、自分探しの記録です。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">私に感情はないのか、自分と向き合い始めた</h2>



<p>初めて言われたのは、小学生高学年の頃でした。</p>



<p>どんな内容の会話をしていてそう言われたのか</p>



<p>もしくは唐突に言われたのか</p>



<p>あまりのインパクトにその辺は忘れてしまいました。</p>



<p>驚いたのは自覚が無かったからです。</p>



<p>その時から私は、</p>



<p>「<strong>自分は感情表現が下手なのか、もしくは感情自体が欠落しているのか</strong>」</p>



<p>と考えるようになりました。</p>



<p>それまでの人生ですでに色々経験していた私は、</p>



<p>確かに欠落していてもおかしくないと思いました。</p>



<p>ただ、もともと感情表現が得意ではないのも事実でした。</p>



<p>どっちが正解なのか答えが出ず、もんもんと考える日々が続きました。</p>



<p>そんなことをこの年齢で考えていることが異常だったと、今では思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">過去を振り返り、私の中で出した答え</h2>



<p>結局、答えが分からないまま時が流れます。</p>



<p>それから1,2年後、また違う人に言われたのです。</p>



<p>言い方や文言は違いますが、同じ内容でした。</p>



<p>その後も、言われることがあり、スパンは短くなって結構言われるようになりました。</p>



<p>途中から私も本気でこれはよくないと思い、真剣に対策していこうと決意しました。</p>



<p>となればまずは、原因の追求から。</p>



<p>そう考えた私は過去を振り返り、いつから、何をきっかけに感情が表に出無くなってしまたのか</p>



<p>探すようになりました。</p>



<p>幼い頃から基礎疾患で病弱だった私は、もともと感情表現が苦手でした。</p>



<p>ずっとネガティブになりますし、それがずっと続くと虚無に入ります。</p>



<p>それから親の離婚・再婚、いじめなどを経験してきた私は、それらが蓄積して</p>



<p>感情が欠落しているんだと答えを出しました。</p>



<p>人よりも感情が薄く、他人にストレス、違和感、面倒を感じさせているんだと</p>



<p>問題を明確に捉える事が出来たのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">誰も知らない、私も知らない、本当の私</h2>



<p>原因が分かったのであとは対策です。</p>



<p>どうすれば、感情を表に出せるのか。</p>



<p>私は自分の感情をオーバー気味に表現するようにしました。</p>



<p>皆はどう表現しているのか観察し、良いバランスで感情表現ができるように</p>



<p>そうすればきっと、自分と他人の差異をなくせると思ったのです。</p>



<p>この原因や解決法を考えつくまで何年もかかりました。</p>



<p>いろんな事を考え、悩みましたが、この原因・解決策が</p>



<p>一番正解に近いだろうと思いました。</p>



<p>そうして、変化をし出して間もない頃、こう言われました。</p>



<p>「<strong>人間っぽくないよね</strong>」</p>



<p>この時、私の考えが全て間違っていたことに気づきました。</p>



<p>辛くて、悲しくて、消えてなくなりたいと思ったのです。</p>



<p>でも、そこにいたのは、一切顔色を変えず、相手に合わせて話を進める私でした。</p>



<p>一番言われたくない人に、一番言われたくない言葉を言われて</p>



<p>悲しくないわけがないんです。</p>



<p>これがきっかけで本当の私を知ることができました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">私の感情と本音</h2>



<p>つまり、感情表現が下手なのでも、感情が欠落しているわけでもありませんでした。</p>



<p>私はこれまでの経験で、人に合わせる生き方しかできなくなっていたのです。</p>



<p>相手の感情を読み取り、それに対して最善の対応、感情を出す。</p>



<p>そうして、本来の感情とは異なる感情を生み出すことで、無機質な感情表現が</p>



<p>出来上がったのです。</p>



<p>それに違和感を抱いた周りの人は</p>



<p>「感情が無い」</p>



<p>とそう表現したのかもしれません。</p>



<p>恐らく本来の意味は</p>



<p>「人間味が無い」</p>



<p>と言うことだったんだと思います。</p>



<p>私には、<strong>感情も本音もあります。</strong></p>



<p><strong>でも、出すことはできないのです。</strong></p>



<p>相手が求めるものを出さないと。誰も傷つけたくないから。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分を受け入れ理解するという事</h2>



<p>私は今でも、本音や本来の感情を出すことはほとんどありません。</p>



<p>ただ、あれからさらに経験し、努力を重ねた結果、もうそんな言葉を言われることは</p>



<p>なくなりました。</p>



<p>誰に対しても、どんな時でも、最善で違和感のない自然な返答ができます。</p>



<p>それはおかしくないか？それでいいのか？</p>



<p>と思われるかもしれません。</p>



<p>でも私は、自分の本音で誰かが傷つくのも損をするのも見たくないのです。</p>



<p>誰かを犠牲に成り立つ幸せは素直に喜べません。</p>



<p>もちろん最低限は存在し、避けられない事があるのも事実です。</p>



<p>それでも、他人から不幸を受けてきた私は、極力同じことをしたくない。</p>



<p>あの人たちと同じ分類にされるのは嫌だと感じるのです。</p>



<p>なにより、もし私の本音で傷づけることがあったら、その人に昔の私が重なって</p>



<p>心臓が握りつぶされるような感覚になります。</p>



<p><strong>そんなことになるなら私はずっと自分なんてなくてもいい。</strong></p>



<p>そう思いながら生きています。<br><br><br><br><br></p>



<p>皆さんはどれくらい本音を出して、どれくらい感情を出せていますか。</p>



<p>結局一番いいのは出せることだと思います。</p>



<p>それが本来人間のあるべき姿で、それによって人のつながりは成り立ちます。</p>



<p>でも、出せないという人も実際結構いてると思います。</p>



<p>出せないにもいろいろあって、パターンも様々だと思いますが、</p>



<p>もし私と同じような感覚の人がいたら、自分を受け入れてあげてください。</p>



<p>悪いことではありませんし、<strong>あなた一人ではありません。</strong></p>



<p>周りからおかしく見られるかもしれませんが、気にすることではありません。</p>



<p>でもできるだけ出せるようにはなった方がいいかもしれませんね。</p>



<p>最後まで読んでくださりありがとうございました。</p>
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		<title>愛情のない偽りの家族で育った私</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/false-family/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家庭環境・親との関係]]></category>
		<category><![CDATA[再婚家庭]]></category>
		<category><![CDATA[家族との距離感]]></category>
		<category><![CDATA[愛情の欠如]]></category>
		<category><![CDATA[毒親]]></category>
		<category><![CDATA[継父]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-6-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「親とは何か」「家族とは何か」。
再婚家庭で育った私が、愛情のない偽りの家族の中で感じた違和感と、その正体。
同じような境遇の方に、届いてほしい言葉があります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-6-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>私には、父が2人います。</p>



<p>幼い頃に両親が離婚し、その後まもなく、母は別の男性と再婚。</p>



<p>そうして「血のつながらない父」と暮らす日常が始まりました。</p>



<p>今回は、その継父との関係を通して、私がどんなことを感じ、どう向き合ってきたのか。</p>



<p>子ども目線の再婚家庭で抱えていた戸惑いや違和感、そして今だから言語化できる思いを話します。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">“家族なのに家族じゃない”違和感の始まり</h2>



<p>両親が離婚したのは幼い頃だったので、記憶は曖昧です。</p>



<p>ただ、実の父ではない事はぼんやりと理解していました。</p>



<p>離婚前からその人と面識はあったので、特別に拒絶していたわけではありません。</p>



<p>ただ、私自身が成長し、物事を少しずつ理解できるようになるにつれて、</p>



<p>継父に少し違和感を感じ始めました。</p>



<p>どこか私に対し距離があり、<strong>家族とは思えない異質な空気</strong>がありました。</p>



<p>私と継父の直接的な会話は少なく、二人だけの時間というものも、ほとんどありませんでした。</p>



<p>恐らく継父自身も、私の成長とともに、何か心境の変化があったのだと思います。</p>



<p>私は当時、母にべったりで、その状況に向き合うこともなく、</p>



<p>気づけば、私たちの間に小さな壁ができ始めていました。</p>



<p>継父があの頃、何を思っていたのかはわかりません。</p>



<p>けれど、きっと彼も、私と同じように</p>



<p>その違和感を受け流していたのだと思います。</p>



<p>そしてやがて、事態は悪化していきます。</p>



<p>あの違和感の正体が、はっきりと見える日が来るのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">そこに愛は初めから存在しなかった</h2>



<p>継父とは、いわゆる“年の差婚”。</p>



<p>母より一回り若く、いきなり子持ちの家庭に。</p>



<p>私にどう接していいのか分からず、</p>



<p>どこか無理をしているような態度が見え隠れしていました。</p>



<p>初めは、どうにか父を果たそうと努めていた。</p>



<p>でも、時がたつにつれ、気持ちが変わっていったのだと考えています。</p>



<p>というのも、私が状況を理解しはじめたこと、母にべったりだったことが、</p>



<p>継父にとって煩わしくなってきたのです。</p>



<p>私に対してどう接していいか分からない。母も取られる。</p>



<p>そんな環境が続き、壁ができはじめ、その壁は嫌悪に変わっていったのでしょう。</p>



<p>私もそれを感じ取っていました。</p>



<p>それからは関係は悪くなる一方でした。</p>



<p>お互いに、距離を置き、干渉しない。</p>



<p>それだけならいいですが、圧力や暴力を受けることもありました。</p>



<p>例えば、基本的に私は母と話します。</p>



<p>その中で、ほしいものなどお願いするとき、母は「お父さんに聞いてみて」と言うのです。</p>



<p>仕方なく継父にお願いしに行きます。</p>



<p>お願いが通ることはなく、いつも、「俺がいらないものはいらない」と言っていました。</p>



<p>どうしても必要な時は、さらにお願いしてみます。</p>



<p><strong>蹴り飛ばされました。</strong></p>



<p>私の小さな体は、そのまま何メートルも飛ばされました。涙が止まりませんでした。</p>



<p>でも継父は、その私に寄るのではなく、その場から立ち去っていきました。</p>



<p>あのとき感じていた違和感</p>



<p>それは、<strong>私に向けられた愛情が、最初から存在しなかったという事実</strong>でした。</p>



<p>どれだけ時を重ねても、私たちの距離が埋まることはなかったのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">建前だけで続いた家族のかたち</h2>



<p>すべてを悟った私は、完全に継父との関係に見切りを付けました。</p>



<p>家族、父と認識しない。<strong>ただの同居人</strong>。</p>



<p>関わざるを得ない時も、他人として建前で接する。</p>



<p>そうすることで、落としどころを見つけたのです。</p>



<p>向こうもそれを受け入れていました。</p>



<p>そうして奇妙な関係がずっと続いていきました。</p>



<p>私にとって、父とはどういうものなのか分かりません。</p>



<p>初めから父が居なかったのと同じような感覚です。</p>



<p>それから時がたち、以前の記事でお話した、母への気持ちの変化につながります。</p>



<p>結局私は、母、父、家族がどんなものなのか分かりません。</p>



<p>全てが嘘で固められた家族。</p>



<p>現在とっくに離婚していて、お互い他の人を見つけているようです。</p>



<p>このような出来事が私を構築し、大人になっていろんな弊害がありました。</p>



<p>気づいたら、愛情のない人間になっていたのです。</p>



<p>それからは、その苦悩や努力を繰り返し、愛情とは何かを考える日々が続くのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">あなたにとっての“家族”とは</h2>



<p>現在、その継父とは完全に関係が途絶え、母とも滅多に連絡を取りません。</p>



<p>あの頃の私は、必死に“家族”というものにしがみついていました。</p>



<p>自分の家はまともな家庭だと信じ、そうであるために建前で固めていたのです。</p>



<p>家族に対しても、ずっと気を使わないといけなかったのです。</p>



<p>でも今は、そこまでこだわっていません。</p>



<p>絶対に家族がいないとだめなわけでも、生きていけないわけでもありません。</p>



<p>私にとって、今では“家族”も他人と同じ立ち位置にあります。</p>



<p>ただ、今でも時々、それがネックになることがあります。</p>



<p>今の世の中には、</p>



<p>「家族を大切にしましょう」「親を大事にしましょう」</p>



<p>といった価値観や風潮が根強くあります。</p>



<p>もちろん、それはとても大切なことです。</p>



<p>でも、それがすべての人に当てはまるとは限らないと、私は思います。</p>



<p>周りの人から、時々こう聞かれることがあります。</p>



<p>「親孝行してる？」「会いに行ってる？」「大切にしてる？」</p>



<p>そんなとき、<strong>私は何とも言えない感情に包まれ</strong>、</p>



<p><strong>少しだけ呼吸が止まるような感覚に襲われます</strong>。</p>



<p>その人たちは、何も間違っていません。悪くもありません。</p>



<p>ただ、彼らは“普通の家庭”で育ち、</p>



<p>こんな劣悪な家庭があることを知らないのです。</p>



<p>だからこそ、その“当たり前”とのギャップに、私は少し苦しさを感じてしまいます。</p>



<p>今では、聞かれたときに負担がかかり過ぎないよう、返答を決めて対応しています。<br><br><br></p>



<p><strong>皆さんは、どのような家庭で育ちましたか？ </strong></p>



<p>あるいは、家庭そのものがなかった方もいるかもしれません。</p>



<p>何を感じ、どのような考えに行きついたのか。&nbsp;</p>



<p>よければ、教えていただけると嬉しいです。</p>



<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>「怒られないように生きる」──ブラック企業で身についた私の処世術</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 05 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[働くことについて]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[ブラック企業]]></category>
		<category><![CDATA[価値観の変化]]></category>
		<category><![CDATA[処世術]]></category>
		<category><![CDATA[心が壊れた瞬間]]></category>
		<category><![CDATA[怒られるのが怖い]]></category>
		<category><![CDATA[新卒就職失敗]]></category>
		<category><![CDATA[社会の違和感]]></category>
		<category><![CDATA[自分を変えた出来事]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-4-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>初めての就職先は、小さな会社でした。 そこには、時が止まったような、少し古びた空気が流れていて── まるでタイムスリップしたかのような、不思議な感覚の中で働いていました。 気づけば、自分の中の何かが、少しずつ変わりはじめ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-4-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>初めての就職先は、小さな会社でした。</p>



<p>そこには、時が止まったような、少し古びた空気が流れていて──</p>



<p>まるでタイムスリップしたかのような、不思議な感覚の中で働いていました。</p>



<p>気づけば、自分の中の何かが、少しずつ変わりはじめていて。</p>



<p>あの頃の経験が、今の私の見方や感じ方に、深く影を落としている気がします。</p>



<p>今回は、そんな人生のひとつの「転換点」について、書いてみようと思います。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">苦労して就職した先がブラック企業だった</h2>



<p>就職活動は、決して順調とは言えませんでした。</p>



<p>そもそも進学校で就職組は。私と他に二人くらいでした。</p>



<p>当然、学校側のサポートも手薄で、自分で道を探すしかありませんでした。</p>



<p>その頃の話は、また別の機会に書こうと思います。</p>



<p>そうした苦労の末、やっと決まった就職。</p>



<p>これからここで頑張っていくんだと、社会を知らない私は張り切っていました。</p>



<p>その苦労が、さらに事をこじらせてしまったのかもしれません。</p>



<p>就いた会社は、いわゆるブラック企業でした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ブラック企業の現実：暴言と長時間労働</h2>



<p>最初のうちは、与えられた雑用をこなし、定時に帰る日々でした。</p>



<p>特別なやりがいもなければ、大きな不満もなく──</p>



<p>ただ、そんな日常が少しずつ変わり始めたのです。</p>



<p>２か月くらい経ったころから、怒られることが多くなりました。</p>



<p>それ自体は普通の事で、そういう時期だと思います。</p>



<p>教えてもらったことを、実際経験していくフェーズです。</p>



<p>ただ、その怒り方はほとんど暴言でした。</p>



<p>そしてその対応はエスカレートしていきます。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ブラック企業で得た思考と、それが今も続く理由</h2>



<p>さすがにそれで辞めるわけにはいかないので、なんとか頑張っていました。</p>



<p>自分ができないからダメなんだと考え、何とか早く一人前になるために</p>



<p>必死に毎日の仕事をこなしていました。</p>



<p>でも、問題はそれだけにとどまりませんでした。</p>



<p>3,4か月目くらいから、作業量はどんどん増え、</p>



<p>定時に帰るなんてことはなくなり、休みさえ取れない日も増えていきました。</p>



<p>1年経つ頃には、1日12時間労働、月の休みが1日ある月と全くない月。</p>



<p>上の人の言うことは絶対、説明しようとしても、</p>



<p>「言い訳をするな」「文句を言うな」──反論も説明も許されない日々。</p>



<p>気づけば私は、何も言えず、ただ“怒られないために”動くようになっていました。</p>



<p>冗談に見せかけた言葉の暴力に笑って応じるふりをしながら、自分がすり減っていくのを感じていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">そんな生活を得て感じた自分の変化</h2>



<p>何か少しでもミスをすれば怒鳴られ、作業を早く進めないと深夜を回っても帰れない。</p>



<p>そんな生活をしていると、心身ともに衰弱していく一方で、</p>



<p>ある種の悟りのようなものが芽生えました。</p>



<p>そこで私が学んだのは、</p>



<p>“人に期待しない・頼らない”</p>



<p>“何か問題が起きるのは自分の実力不足”</p>



<p>この2つの考えが、いつしか私の行動基準になっていたのです。</p>



<p>自分が完璧に何事もこなせば、怒られることも帰れない事もありません。</p>



<p>当然、完璧というのは不可能です。</p>



<p>それでも、限りなく完璧に寄せていく努力をするしかない事に気づいたのです。</p>



<p>それに気づいてからは、人生そのものが変化していきました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">今の自分につながる事</h2>



<p>その時培った考え方は今でもありますし、より深みを増しています。</p>



<p>もちろん、それが正しいかどうかは今でもわかりません。</p>



<p>けれど、そうでもしなければ、私はもう立っていられなかった。</p>



<p>仕事に限ったことではなく、プライベートや学問などすべてに通ずるものだと思います。</p>



<p>一方で、この生き方は辛いのも事実です。</p>



<p>逃げ出したくなることもあります。</p>



<p>それでも、この考えを放棄して送る人生を考えると、まだましに感じるのです。</p>



<p>これからも、一生たどり着くことのない完璧を目指して、生きていくことでしょう。</p>















<p>今回は、就職したブラック企業と、それに伴って変化した自分をお話しました。</p>



<p>ブラック企業での経験が、自分をどう変えたのか──</p>



<p>きっと、似たような経験をした方もいると思います。</p>



<p>その方たちは、自分に変化のようなものはあったでしょうか。</p>



<p>また、皆さんの自分の変化を感じた瞬間はどんな時でしょうか。</p>



<p>些細な事でもいいので教えて頂けると嬉しいです。</p>



<p>読んでくださって、本当にありがとうございました。</p>














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				<div class="p-blogCard__inner">
					<span class="p-blogCard__caption">しのぶの備忘録</span>
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						<a class="p-blogCard__title" href="https://shinobu-bibou.com/逃げていたあの頃のはじめの一歩/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">逃げていたあの頃のはじめの一歩 | しのぶの備忘録</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">あの時はまだ、すべて周りのせいにしていました。自分は何も悪くない。環境が悪いから、苦しんでいるんだと——。 今でこそ、当時の考え方は偏っていたと思えますが、基礎疾&#8230;</span>					</div>
				</div>
			</div>
		</div>]]></content:encoded>
					
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		<title>“ずれている”ことにすら気づけなかった私が、ようやく自分を疑えるようになるまで</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[わかる人に届いてほしい]]></category>
		<category><![CDATA[共依存]]></category>
		<category><![CDATA[内省]]></category>
		<category><![CDATA[心のモヤモヤ]]></category>
		<category><![CDATA[毒親]]></category>
		<category><![CDATA[繊細さん]]></category>
		<category><![CDATA[自己否定]]></category>
		<category><![CDATA[誰にも言えなかったこと]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-2-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>自分が“ずれている”ことにも気づけなかった幼少期。敏感な感覚、毒親との関係、それら全てを知らずに生きていた私が、ようやく自分を見つめ直せるようになるまでの話。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-2-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>今の私は、少しだけ自分のことを俯瞰して見られるようになりました。</p>



<p><strong>自分は、人とは“違う”ということ。</strong><br><strong><br> 感覚が“敏感すぎる”ということ。</strong><br><strong><br> そして、親が“毒親”だったということ。</strong></p>



<p>これらの事実を知っているからこそ、<br><br>「自分のずれている部分」を理解できるようになりました。</p>



<p>でも、あの頃の私は――<br><br>そんなこと、考えもしなかった。<br><br>「自分は間違ってない」と思い込んで、<br><br>自分を疑うことすらできない、愚かな人間だったのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">“人と違う”ことに気づけなかった私</h2>



<p class="u-mb-ctrl u-mb-0">私は幼い頃から、基礎疾患を抱えていて、体がとても弱かった。<br><br>もちろん、目に見える違いは理解していました。<br><br>でも、本当の意味での“違い”には、まったく気づけていなかったのです。</p>



<p><br>体が弱いというたったひとつのことが、</p>



<p>感情の動きや感じ方、思考の癖まで、通常とはまったく違うものにしていました。</p>



<p>けれどそのことを知らなかった私は、ずっとこう思っていました。</p>



<p><strong>「なぜわかってくれないのか」</strong></p>



<p><strong>「自分は悪くないのに」</strong></p>



<p><strong>こんなことばかりを考え、やがて以前記事に書いた“いじめ”につながるのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">“敏感すぎる”感覚を“普通”と信じていた頃</h2>



<p>いつの頃からか、自分の感覚はとても敏感になっていました。</p>



<p>特に、目、鼻、耳が辛かった。</p>



<p>でもそれが普通だと思っていて、みんな同じ感覚だと思っていました。</p>



<p><br></p>



<p>例えば、運動会。</p>



<p>大音量の音楽や楽器の音、応援の声。</p>



<p>そのすべてが、私には苦痛に感じられました。</p>



<p>どうして皆は、苦しい思いをしてまでこんなことをしているのか不思議でならなかった。</p>



<p>もちろん皆も大きい音という認識はあるでしょう。</p>



<p>でも、自分のそれとはまったく異なる受け取り方だということを知らなかった。</p>



<p>度々その場から逃げ出していた私は、周りの人が間違っているのだと</p>



<p>自分に言い聞かせていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“毒親”に気づけなかった私は、母を絶対視していた」</h2>



<p>以前の記事にも書いたように、母は私にとって“命の恩人”でした。</p>



<p>だからこそ私は、母を人生の軸にし、恩返しのような気持ちで生きていました。</p>



<p>母の言う事を信頼し、喜んでもらうために努力し、何もかも母が一番正しいのだと思っていた。</p>



<p>そんな生活をしていた私は、頭が凝り固まり、何が正しくて何が間違っているのか、</p>



<p>正しい判断ができないようになっていたのです。</p>







<p><br>母が悪く言う人・物はすべて“悪”で、</p>



<p>母が褒める人・物はすべて“正義”。</p>



<p>そんな偏った価値観を持ち、周囲を拒絶し、</p>



<p><strong>自ら“生きづらい環境”を作っていたのです。</strong></p>



<p>本当は違和感が少しあったのかもしれません。</p>



<p>それでも私は、母が正しいのだと思い込むようにしていたのです。</p>



<p>年齢が幼かったということもありますが、<br><br>考えが浅く、物事を表面的にしか受け取れなかった私は、<br><br>知らず知らずのうちに、自分で自分の首を絞めていたのかもしれません。<br><br><br></p>



<p>今では、“思い込み”を少しずつ手放しながら、<br><br>物事の本質に目を向けられるようになってきました。</p>



<p>もしかしたら、<br><br>似たような“生きづらさ”を感じている方もいるかもしれません。</p>



<p>もし何か響いたことや、思い出すような感覚があったら、<br><br>あなたの言葉を、そっと残していただけたらうれしいです。</p>
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