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	<title>人生と向き合う &#8211; しのぶの備忘録</title>
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	<title>人生と向き合う &#8211; しのぶの備忘録</title>
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		<title>自分ではなくなっていくまでの記録</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Feb 2026 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[心の記録]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
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		<category><![CDATA[過剰適応]]></category>
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					<description><![CDATA[普通になりたかっただけだった。
人の気持ちを考え、誰も傷つけないように生きようとした。
気づいたときには、自分が何者だったのかさえ分からなくなっていた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">他人の事を考えない自己中心的な子供時代</h2>



<p>昔の自分は、全くと言っていいほど人の気持ちが理解できなかった。<br>生まれ育った環境によって、考え方が一般的な人と異なっていた、というのもあるが、そもそも他人を理解しようとしていなかったのだと思う。</p>



<p>自分の気持ちを最優先し、都合が悪くなればその場から逃げる。<br>子どもとはそういうものだと言われればそれまでだが、それにしても度が過ぎていたと思う。</p>



<p>以前の記事で触れたように、いじめを受けたときも、いじめる側の気持ちを考えようとはせず、<br>「自分は何も悪くない」「あいつらが異常なんだ」と決めつけ、考えることから逃げていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">変化のきっかけ</h2>



<p>この考え方が変わったのは、「この瞬間から変わった」というような急激なものではなく、<br>少しずつ段階を踏んで変化していった結果だった。</p>



<p>人は大人になるにつれて、自然とそうなっていく。<br>確かにそれは事実だと思う。<br>ただ、自分はその過程を歪ませてしまった。<br>本来進むはずだったルートから外れ、それがそのまま自分の核になってしまった。</p>



<p>最初の変化は、これも以前の記事で書いた、<br>いじめの最中に起きた転校だった。</p>



<p>「このままの自分ではいけない」<br>自分を変えようとする、ほんの小さな変化だった。</p>



<p>この時点では、まだ他人のことを考えられるわけでもなく、<br>自分の何が悪いのかも理解していなかった。<br>ただ、「何かがおかしい」「このままではよくない」という感覚だけが芽生え始めていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の居場所が欲しいと思った</h2>



<p>その後、環境は徐々に緩和され、<br>少人数ではあるが、友達のような存在ができた。</p>



<p>ただ、そこで感じていたのは、<br>それはあくまで「友達のようなもの」であって、<br>少し下に見られていたり、仕方なく輪に入れてもらっていたりする立場だったということだ。</p>



<p>その人たちが、本当の友達同士で楽しそうに遊んでいるのを見て、<br>自分は強い羨ましさを感じていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">思考の大きな分岐点</h2>



<p>そこから、少しずつ他人の気持ちを考えるようになった。</p>



<p>それ以降、学生生活の間、<br>他人の思考や感情をひたすら分析し、同時に自分自身も見つめ直し続けた。</p>



<p>「普通の人は何を考え、何を感じているのか」<br>「自分はなぜ人と違うのか」</p>



<p>おそらく学生生活の終盤には、<br>普通の人と同じか、あるいは少し敏感な程度にはなっていたと思う。</p>



<p>今振り返れば、この辺りでやめておけばよかった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の核となるもの</h2>



<p>社会人になってからも、この習慣は続いた。<br>というより、「やめてはいけない」「人として当然すべきことだ」と感じていた。</p>



<p>なぜ、そんな考え方になったのか。</p>



<p>それは、生活環境や学校生活、自分自身の思考の変化などが複雑に絡み合い、<br>他人や自分を理解し、考えることで、<br>「他人に嫌な思いをさせないことこそが正義だ」と感じるようになったからだ。</p>



<p>理由は単純だった。</p>



<p>自分はこれまで、嫌な体験や苦しい思いを何度もしてきた。<br>泣き、苦しみ続けてきた人生だった。</p>



<p>だから、自分がされて嫌だったことを、他人にはしたくない。<br>誰かが嫌悪したり、悲しんだりする空間を作りたくない。</p>



<p>それらを「悪」と捉え、<br>お互いにそうしたものを生み出さないようにすることが、<br>人間としての常識なのだと考えるようになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">行き過ぎた共感が生んだ地獄</h2>



<p>しかしその結果、人生は良くなるどころか、<br>まったく別のベクトルの地獄へと向かっていった。</p>



<p>今だからわかることだが、<br>あの頃から自分は「普通」を通り越し、<br>行き過ぎたレベルで他人の心を読もうとし、<br>それに必死で対応しようとする反射が染みついていた。</p>



<p>HSPやエンパス、過剰適応に近い状態が、<br>自分の中に現れていたのだと思う。</p>



<p>社会人生活を送る中で、それらはさらに悪化し、<br>他人に合わせて自分を押し殺す、負の循環に陥っていった。</p>



<p>嫌なことを押し付けられ、利用され、<br>裏では馬鹿にされる。</p>



<p>それでも、この反射は止まらなかった。<br>むしろ精度を増し、考えるより先に行動が出るようになっていた。</p>



<p>結局、「普通になりたい」と願った自分は、<br>異常から普通を通り越し、再び異常な状態に辿り着いていたのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">なぜやめられなかったのか</h2>



<p>「なぜ途中でやめなかったのか」と疑問に思うだろう。<br>だが、それがどうしてもできなかった。</p>



<p>理由はいくつかあるが、どれも単純だ。</p>



<p>まず、他人を嫌な気持ちにさせたくなかった。<br>それぞれがそう振る舞うことこそが、本来あるべき平和な形だと考えていた。</p>



<p>さらに、これに反することは、<br>これまで自分を貶め、嫌悪してきた人間と同じになることだと思っていた。</p>



<p>そして、自分がこれをやめれば、<br>代わりに苦しむ人が出てくると考えていた。</p>



<p>これができる人間は多くない。<br>自分だけとは言わないが、極めて少数だと思っていた。</p>



<p>だからこそ、この行動に責任を感じ、<br>「自分がこの役を引き受けるしかない」と、そう思い込んでいた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在と、唯一の願い</h2>



<p>今では、少し外に出るだけでも、<br>たとえ身近な人との会話であっても、<br>心身ともに強い疲労を感じ、異常が出る。</p>



<p>普通に働くことも、長時間外に出ることも難しい。<br>未来に希望を見出せず、ただ月日だけが過ぎていく。</p>



<p>自分なりに調べ、考え続けてきたが、<br>もうどうにもならないところまで来てしまったと悟った。</p>



<p>それでも、ひとつだけ気になっていることがあり、<br>それが唯一、自分のしたいことでもある。</p>



<p>それは、自分と同じくらいの度合いで、<br>同じようなことをしてきた人間が他にも存在するのか、<br>もし存在するなら、その話を聞いてみたい、ということだ。</p>



<p>これは自慢でも傲慢でもない。<br>これまで、自分と同じような精度や感覚を持つ人を、<br>一度も見たことがない。</p>



<p>その人はどのような過程を辿り、<br>今、どのように生活しているのかを知りたい。</p>



<p>もっとも、自分と同じ感覚を持つ人間は、<br>表に出ることも少なく、行動も慎重であるはずだ。</p>



<p>それが叶うことは、きっとほとんどないのだろう。</p>



<p>これからも自分を押し込み、他人に合わせ、<br>苦しみながら、さらに精度を増しつつ生きていくのだと思う。</p>
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		<title>いじめと闘病を通して知った、共感の限界と誤解</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Oct 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[他人の価値観]]></category>
		<category><![CDATA[共感とは]]></category>
		<category><![CDATA[小学生いじめ]]></category>
		<category><![CDATA[思考の整理]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[闘病体験]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>闘病による制限からいじめを受けた私が、その経験から学んだ「共感の限界」と「誤解の正体」。価値観が揺らいだ瞬間の記録。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>重度の基礎疾患に苦しんでいた頃、ある同級生に</p>



<p>「<strong>自分も同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>と言われました。</p>



<p>当時の私には、<strong>追い打ちをかけるような言葉</strong>に感じたのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">幼少から続く闘病生活と、終わらない苦しみ</h2>



<p>私は、2歳頃から<strong>闘病生活</strong>を送っていました。</p>



<p>病状はかなり重く、さまざまな病院を回ったり、入院しながら治療を受けたりしていました。</p>



<p>もちろん、それ自体もとても苦しいものでした。<br>けれど、少し状態が落ち着き、どうにか気をつけながら普通の生活を送り始めても、<br>困難は終わっていませんでした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「みんなと同じ」が、どうしてもできなかった</h2>



<p>小学校には通えるようになったものの、制限はかなり多くありました。<br>飲み物や食べ物、運動など、みんなと同じようにとはいきません。</p>



<p>みんなが普通に口にしているものが、<strong>私には食べられない</strong>。<br>体育や休み時間に外で元気に体を動かしているのに、<strong>私は動けない</strong>。</p>



<p>ただ、自分にとっては、これでも“昔に比べれば”制限がゆるくなった方でした。<br>だからこそ、まだ我慢できていたのです。</p>



<p>けれど、<strong>周りの中には、それが我慢できない人もいたのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">とどめは、何気ない一言だった</h2>



<p>食べられない、動けない。<br>でもそれは、他人から見れば「食べなくていい」「動かなくていい」と映るのでした。</p>



<p>嫌いなものを我慢して食べている子。<br>苦手だけど我慢して運動している子。<br>そんな子たちにとって、<strong>私は“ずるい子”に見えた</strong>のです。</p>



<p>そして、そこから<strong>いじめへと発展</strong>していきました。</p>



<p>病気が少し良くなってきたと思ったのに<br>また、苦しい生活が始まるのかと思いました。</p>



<p>特別扱いされてずるい、<br>病気がうつるから近寄るな<br>そんな言葉をかけられていました。</p>



<p>私なりに説明はしていたのですが、<br>聞いてもらえることはほとんどなく、<br>だんだんと何も言えなくなっていきました。</p>



<p>そんな苦い学校生活を送っていたある日、<br>同級生のひとりに、こう言われたのです。</p>



<p>「<strong>自分も、同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>その一言で、<strong>いじめは加速</strong>しました。</p>



<p>その子が言ったことは、きっと嘘ではなかったのでしょう。<br>でも、その子はみんなと同じものを食べ、同じように運動もできていました。</p>



<p>「じゃあ、おかしいよね」</p>



<p>周りの子たちは、そう思ったのです。<br>何気ないその一言が、私にとって<strong>とどめの一撃</strong>になりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">傷つきからの気づき</h2>



<p>こんな病気を抱えて、苦しい思いをして、<br>なんとか生活してきた。</p>



<p><strong>自分は何も悪くないのに。</strong><strong><br></strong><strong> こんなに辛いのに。</strong></p>



<p>そう思う反面、<br>「<strong>自分は甘えて逃げているだけなんじゃないか</strong>」<br>そんなふうに考えてしまうこともありました。</p>



<p>ずっとこんな生活をしてきたから、<br>これが“当たり前”になっていたけど、<br>もしかすると、それは間違っていたのかもしれない。</p>



<p>そしてこの出来事を通して、私が痛感したのは、<br><strong>人は、簡単には他人の気持ちを理解できない</strong>ということ。</p>



<p>共感することは難しい。<br><strong>簡単に共感してはいけないのかもしれない。</strong></p>



<p>そう感じるようになりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">見えているものの奥を想像する力</h2>



<p>今では、このいじめの件について、<br>「仕方がなかったこと」だと受け止めています。</p>



<p>誰かが悪いという話ではなく、<br>あの状況では<strong>必然的に起こってしまったこと</strong>だったのでしょう。</p>



<p>「自分ができないこと」が、<br>「<strong>他人の“しなくていい”</strong>」に見えることもある。<br>「<strong>他人の気持ちがわからない</strong>」ことも当然で──<br>それは、自分にも当てはまることです。</p>



<p>私は、そのことを理解し、受け入れるようになりました。</p>



<p>そして今では、<br><strong>「見えているものの奥に、どんな背景があるのかを考える」</strong><strong><br></strong> そう答えを出しました。</p>



<p><strong>誰かの幸福は、誰かの不幸かもしれない。<br>逆に、誰かの不幸が、誰かの幸福につながっている</strong>こともある。</p>



<p>「自分もこうだったから、きっとこの人の気持ちがわかる」<br>そう思っていても、まったく違うこともあります。</p>



<p><strong>自分の価値観だけで、物事を決めつけてしまうのは、とても危険なこと。</strong><strong><br></strong> それは、混乱や争いを生みかねない。</p>



<p>私はこの経験を通して、<br>そんなことを学ぶことができました。</p>







<h2 class="wp-block-heading">まとめ</h2>



<p>今回は、私なりの見解でお話ししましたが、<br>人によっては、違う受け取り方をする方もいるかもしれません。</p>



<p>この記事を読んで、何か感じたこと・思ったことがあれば、<br>どんな些細なことでも構いませんので、ぜひコメントで教えてください。</p>



<p>この内容が、誰かにとっての「気づき」や「関心を持つきっかけ」になれば、嬉しく思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">余談</h2>



<p>ドラマや映画などの感動作品を観たとき、<br>私は、<strong>あまりにも簡単に共感してしまうのは失礼</strong>なのでは…と感じてしまい、<br>どうしても感情移入しきれないことがあります。</p>



<p>また、リアルでさまざまな経験をしてきたせいか、<br>作中の展開やセリフに、ふと違和感を覚えることもあります。これは私の“あるある”なのですが、<br>同じように感じる人、他にもいるのでしょうか？</p>




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		<title>自分を知るとはどういうことか？ 私の気づきと変化</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/know-yourself/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 13 Aug 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
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		<category><![CDATA[自己成長]]></category>
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					<description><![CDATA[自分のこと、本当にわかっていますか？──いじめや社会人経験を通して「自分を知ること」の意味に気づいた私の記録です。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p><strong>皆さんは、自分のことをどれくらい理解しているでしょうか。</strong><strong><br></strong>「わかっているつもり」でも、実はあまりわかっていない<br>そんなことは意外と多いものです。</p>



<p>かく言う私も、昔は自分自身のことをよく理解できていませんでした。<br>ただ、幸いなことに、<strong>比較的早い段階でそのことに気づくことができた</strong>のです。</p>



<ul class="wp-block-list">
<li>何がきっかけで気づいたのか<br></li>



<li>気づいたことで何が変わったのか<br></li>



<li>なぜ“気づくこと”が大事なのか<br></li>
</ul>



<p>今回は、私の人生や考え方をもとに、そんなお話をしていこうと思います。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">最初に“自分”に気づいた日──いじめと向き合って</h2>



<p><strong>最初に“自分”に気づいたのは、小学生のときでした。</strong></p>



<p>基礎疾患による見た目の問題で、いじめを受けていました。<br>この問題を解決するために、私は真剣に自分と向き合ったことがあります。</p>



<p>原因を考えたとき、「本当に見た目だけが理由なのか？他にもあるのでは？」<br>そう考えるようになりました。</p>



<p>そこで行きついたのが、自分の“性格”でした。<br>自覚はありませんでしたが、周りから見た私は──<br><strong>表情が暗い／声が小さい／動きが鈍い。</strong></p>



<p>こうした点が、いじめの原因になっているのではないかと思うようになったのです。</p>



<p>その後、諸事情で転校することになった私は、それをきっかけに、少しずつ自分を変えていきました。<br>すると、環境も少しずつ変わっていきました。</p>



<p>このとき私は初めて、<strong>“知らなかった自分”を知った</strong>のです。</p>



<p>ただ、ここで一つ大切なことがあります。<br>この体験だけで「自分のすべてを理解できる」わけではないということです。<br>だからこそ私は、「最初に気づいたのが」と、あえてそう書きました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新社会人になって知った「ズレた私」</h2>



<p><strong>次に“気づき”があったのは、新社会人になったときでした。</strong></p>



<p>学生の頃は、自分で関わる人・環境・スケジュールをある程度管理できます。<br>でも社会人になると、そうはいきません。</p>



<p>コミュニケーションがより重要になり、<br>いろんな人と、いろんな場面で会話や作業をするようになります。<br>その中で、指摘されたり、怒られたり、教えられたりする場面が増えます。</p>



<p>そうした中で私は、<br><strong>自分がズレた考えをしていたこと、甘い思考をしていたこと、</strong><strong><br></strong><strong>逃げることばかり考えていたこと</strong>に気づきました。</p>



<p>本心や思考のクセ、それが周囲や自分にどんな影響を与えていたかを知って、<br>驚きとともに、「このままではよくない」と感じたのです。</p>



<p>それ以来、私は何か行動したり判断したりする前に、<br>一度立ち止まって、自分に問いかけるようになりました。</p>



<p><strong>「自分は本当はどう考えているのか？」</strong><strong><br></strong><strong>「本当にそれが正しいのか？」</strong></p>



<p>そうやって自分と向き合うようになると、<br>周囲の人の対応にも、少しずつ変化が見え始めました。</p>



<p>この“対話”ができるようになってから、自分への理解が一気に深まった気がします。</p>



<p>とはいえ、人は常に変化します。<br>「以前はこう考えていたけど、今は違う」<br>そんなこともよくあります。</p>



<p>知っていることが増えると同時に、知らないこともまた増えていく。<br><strong>自分を理解するということは、常に続いていく行為</strong>なのだと実感しました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">気づける力が、私を変えた</h2>



<p>それからも、何度か自分を知る場面がありました。<br>現在では、かなりの解像度で自分を理解しています。<br>さらに、無意識のうちに自分の行動や判断の本心を捉えられるようになり、<br>心境の変化にもすぐ気づくことができます。</p>



<p>この「気づける」ということができるようになると、<br>自分の弱い部分やダメな部分をすぐに見つけることができ、<br>それに対する対処も考えられるようになります。</p>



<p>昔のような甘い考えや、逃げ癖が出ないようにもできるし、<br>逆に、本当につらいときには、自分を逃がしてあげる・寄り添ってあげることもできます。</p>



<p>つまり、自分をコントロールし、自己成長ができるようになるのです。</p>



<p>年齢を重ねるにつれ、指摘してくれる人は減り、<br>自分自身も固定概念に縛られがちになります。<br>だからこそ、「自分を知る」ということはとても大切なのです。</p>



<p>もちろん、今の私も自分を完璧に理解しているわけではありません。<br>変化し続ける以上、その瞬間はきっと訪れないでしょう。</p>



<p>それでも私は、常に自分と向き合うことを大切にし、<br>これからもそうありたいと心がけています。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「きっかけ」は自分を知る最大のチャンス</h2>



<p>このように私は、何かのきっかけで自分を知ることがよくありました。</p>



<p>そしてこの「きっかけ」こそが、自分を知るための一番のチャンスだと思っています。</p>



<p>ただしこれは、誰にでもすぐに起きるものではありません。<br>なにもきっかけがなかった人、気づけなかった人もいるでしょう。</p>



<p>けれど、たとえきっかけがなくても、「気づくこと」はできます。</p>



<p>皆さんも、何かを行動するとき、何かを判断するとき、<br>いちど立ち止まって、自分と向き合ってみてください。</p>



<p>自分を知ることは、きっと自分にとって「良いこと」しかありません。</p>



<p>このブログが、そんな気づきのきっかけになれば嬉しいです。</p>



<p>私の人生や考え方については、これまでの記事でもお話ししています。<br>今回冒頭で触れた「いじめ」の話についても過去に書いていますので、<br>ぜひあわせて読んでいただければと思います。</p>



<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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