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	<title>対人関係 &#8211; しのぶの備忘録</title>
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	<title>対人関係 &#8211; しのぶの備忘録</title>
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		<title>自分ではなくなっていくまでの記録</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Feb 2026 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[心の記録]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[エンパス]]></category>
		<category><![CDATA[普通]]></category>
		<category><![CDATA[異常]]></category>
		<category><![CDATA[過剰適応]]></category>
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					<description><![CDATA[普通になりたかっただけだった。
人の気持ちを考え、誰も傷つけないように生きようとした。
気づいたときには、自分が何者だったのかさえ分からなくなっていた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">他人の事を考えない自己中心的な子供時代</h2>



<p>昔の自分は、全くと言っていいほど人の気持ちが理解できなかった。<br>生まれ育った環境によって、考え方が一般的な人と異なっていた、というのもあるが、そもそも他人を理解しようとしていなかったのだと思う。</p>



<p>自分の気持ちを最優先し、都合が悪くなればその場から逃げる。<br>子どもとはそういうものだと言われればそれまでだが、それにしても度が過ぎていたと思う。</p>



<p>以前の記事で触れたように、いじめを受けたときも、いじめる側の気持ちを考えようとはせず、<br>「自分は何も悪くない」「あいつらが異常なんだ」と決めつけ、考えることから逃げていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">変化のきっかけ</h2>



<p>この考え方が変わったのは、「この瞬間から変わった」というような急激なものではなく、<br>少しずつ段階を踏んで変化していった結果だった。</p>



<p>人は大人になるにつれて、自然とそうなっていく。<br>確かにそれは事実だと思う。<br>ただ、自分はその過程を歪ませてしまった。<br>本来進むはずだったルートから外れ、それがそのまま自分の核になってしまった。</p>



<p>最初の変化は、これも以前の記事で書いた、<br>いじめの最中に起きた転校だった。</p>



<p>「このままの自分ではいけない」<br>自分を変えようとする、ほんの小さな変化だった。</p>



<p>この時点では、まだ他人のことを考えられるわけでもなく、<br>自分の何が悪いのかも理解していなかった。<br>ただ、「何かがおかしい」「このままではよくない」という感覚だけが芽生え始めていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の居場所が欲しいと思った</h2>



<p>その後、環境は徐々に緩和され、<br>少人数ではあるが、友達のような存在ができた。</p>



<p>ただ、そこで感じていたのは、<br>それはあくまで「友達のようなもの」であって、<br>少し下に見られていたり、仕方なく輪に入れてもらっていたりする立場だったということだ。</p>



<p>その人たちが、本当の友達同士で楽しそうに遊んでいるのを見て、<br>自分は強い羨ましさを感じていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">思考の大きな分岐点</h2>



<p>そこから、少しずつ他人の気持ちを考えるようになった。</p>



<p>それ以降、学生生活の間、<br>他人の思考や感情をひたすら分析し、同時に自分自身も見つめ直し続けた。</p>



<p>「普通の人は何を考え、何を感じているのか」<br>「自分はなぜ人と違うのか」</p>



<p>おそらく学生生活の終盤には、<br>普通の人と同じか、あるいは少し敏感な程度にはなっていたと思う。</p>



<p>今振り返れば、この辺りでやめておけばよかった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の核となるもの</h2>



<p>社会人になってからも、この習慣は続いた。<br>というより、「やめてはいけない」「人として当然すべきことだ」と感じていた。</p>



<p>なぜ、そんな考え方になったのか。</p>



<p>それは、生活環境や学校生活、自分自身の思考の変化などが複雑に絡み合い、<br>他人や自分を理解し、考えることで、<br>「他人に嫌な思いをさせないことこそが正義だ」と感じるようになったからだ。</p>



<p>理由は単純だった。</p>



<p>自分はこれまで、嫌な体験や苦しい思いを何度もしてきた。<br>泣き、苦しみ続けてきた人生だった。</p>



<p>だから、自分がされて嫌だったことを、他人にはしたくない。<br>誰かが嫌悪したり、悲しんだりする空間を作りたくない。</p>



<p>それらを「悪」と捉え、<br>お互いにそうしたものを生み出さないようにすることが、<br>人間としての常識なのだと考えるようになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">行き過ぎた共感が生んだ地獄</h2>



<p>しかしその結果、人生は良くなるどころか、<br>まったく別のベクトルの地獄へと向かっていった。</p>



<p>今だからわかることだが、<br>あの頃から自分は「普通」を通り越し、<br>行き過ぎたレベルで他人の心を読もうとし、<br>それに必死で対応しようとする反射が染みついていた。</p>



<p>HSPやエンパス、過剰適応に近い状態が、<br>自分の中に現れていたのだと思う。</p>



<p>社会人生活を送る中で、それらはさらに悪化し、<br>他人に合わせて自分を押し殺す、負の循環に陥っていった。</p>



<p>嫌なことを押し付けられ、利用され、<br>裏では馬鹿にされる。</p>



<p>それでも、この反射は止まらなかった。<br>むしろ精度を増し、考えるより先に行動が出るようになっていた。</p>



<p>結局、「普通になりたい」と願った自分は、<br>異常から普通を通り越し、再び異常な状態に辿り着いていたのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">なぜやめられなかったのか</h2>



<p>「なぜ途中でやめなかったのか」と疑問に思うだろう。<br>だが、それがどうしてもできなかった。</p>



<p>理由はいくつかあるが、どれも単純だ。</p>



<p>まず、他人を嫌な気持ちにさせたくなかった。<br>それぞれがそう振る舞うことこそが、本来あるべき平和な形だと考えていた。</p>



<p>さらに、これに反することは、<br>これまで自分を貶め、嫌悪してきた人間と同じになることだと思っていた。</p>



<p>そして、自分がこれをやめれば、<br>代わりに苦しむ人が出てくると考えていた。</p>



<p>これができる人間は多くない。<br>自分だけとは言わないが、極めて少数だと思っていた。</p>



<p>だからこそ、この行動に責任を感じ、<br>「自分がこの役を引き受けるしかない」と、そう思い込んでいた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在と、唯一の願い</h2>



<p>今では、少し外に出るだけでも、<br>たとえ身近な人との会話であっても、<br>心身ともに強い疲労を感じ、異常が出る。</p>



<p>普通に働くことも、長時間外に出ることも難しい。<br>未来に希望を見出せず、ただ月日だけが過ぎていく。</p>



<p>自分なりに調べ、考え続けてきたが、<br>もうどうにもならないところまで来てしまったと悟った。</p>



<p>それでも、ひとつだけ気になっていることがあり、<br>それが唯一、自分のしたいことでもある。</p>



<p>それは、自分と同じくらいの度合いで、<br>同じようなことをしてきた人間が他にも存在するのか、<br>もし存在するなら、その話を聞いてみたい、ということだ。</p>



<p>これは自慢でも傲慢でもない。<br>これまで、自分と同じような精度や感覚を持つ人を、<br>一度も見たことがない。</p>



<p>その人はどのような過程を辿り、<br>今、どのように生活しているのかを知りたい。</p>



<p>もっとも、自分と同じ感覚を持つ人間は、<br>表に出ることも少なく、行動も慎重であるはずだ。</p>



<p>それが叶うことは、きっとほとんどないのだろう。</p>



<p>これからも自分を押し込み、他人に合わせ、<br>苦しみながら、さらに精度を増しつつ生きていくのだと思う。</p>
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		<title>いじめと闘病を通して知った、共感の限界と誤解</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Oct 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[他人の価値観]]></category>
		<category><![CDATA[共感とは]]></category>
		<category><![CDATA[小学生いじめ]]></category>
		<category><![CDATA[思考の整理]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[闘病体験]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>闘病による制限からいじめを受けた私が、その経験から学んだ「共感の限界」と「誤解の正体」。価値観が揺らいだ瞬間の記録。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>重度の基礎疾患に苦しんでいた頃、ある同級生に</p>



<p>「<strong>自分も同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>と言われました。</p>



<p>当時の私には、<strong>追い打ちをかけるような言葉</strong>に感じたのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">幼少から続く闘病生活と、終わらない苦しみ</h2>



<p>私は、2歳頃から<strong>闘病生活</strong>を送っていました。</p>



<p>病状はかなり重く、さまざまな病院を回ったり、入院しながら治療を受けたりしていました。</p>



<p>もちろん、それ自体もとても苦しいものでした。<br>けれど、少し状態が落ち着き、どうにか気をつけながら普通の生活を送り始めても、<br>困難は終わっていませんでした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「みんなと同じ」が、どうしてもできなかった</h2>



<p>小学校には通えるようになったものの、制限はかなり多くありました。<br>飲み物や食べ物、運動など、みんなと同じようにとはいきません。</p>



<p>みんなが普通に口にしているものが、<strong>私には食べられない</strong>。<br>体育や休み時間に外で元気に体を動かしているのに、<strong>私は動けない</strong>。</p>



<p>ただ、自分にとっては、これでも“昔に比べれば”制限がゆるくなった方でした。<br>だからこそ、まだ我慢できていたのです。</p>



<p>けれど、<strong>周りの中には、それが我慢できない人もいたのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">とどめは、何気ない一言だった</h2>



<p>食べられない、動けない。<br>でもそれは、他人から見れば「食べなくていい」「動かなくていい」と映るのでした。</p>



<p>嫌いなものを我慢して食べている子。<br>苦手だけど我慢して運動している子。<br>そんな子たちにとって、<strong>私は“ずるい子”に見えた</strong>のです。</p>



<p>そして、そこから<strong>いじめへと発展</strong>していきました。</p>



<p>病気が少し良くなってきたと思ったのに<br>また、苦しい生活が始まるのかと思いました。</p>



<p>特別扱いされてずるい、<br>病気がうつるから近寄るな<br>そんな言葉をかけられていました。</p>



<p>私なりに説明はしていたのですが、<br>聞いてもらえることはほとんどなく、<br>だんだんと何も言えなくなっていきました。</p>



<p>そんな苦い学校生活を送っていたある日、<br>同級生のひとりに、こう言われたのです。</p>



<p>「<strong>自分も、同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>その一言で、<strong>いじめは加速</strong>しました。</p>



<p>その子が言ったことは、きっと嘘ではなかったのでしょう。<br>でも、その子はみんなと同じものを食べ、同じように運動もできていました。</p>



<p>「じゃあ、おかしいよね」</p>



<p>周りの子たちは、そう思ったのです。<br>何気ないその一言が、私にとって<strong>とどめの一撃</strong>になりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">傷つきからの気づき</h2>



<p>こんな病気を抱えて、苦しい思いをして、<br>なんとか生活してきた。</p>



<p><strong>自分は何も悪くないのに。</strong><strong><br></strong><strong> こんなに辛いのに。</strong></p>



<p>そう思う反面、<br>「<strong>自分は甘えて逃げているだけなんじゃないか</strong>」<br>そんなふうに考えてしまうこともありました。</p>



<p>ずっとこんな生活をしてきたから、<br>これが“当たり前”になっていたけど、<br>もしかすると、それは間違っていたのかもしれない。</p>



<p>そしてこの出来事を通して、私が痛感したのは、<br><strong>人は、簡単には他人の気持ちを理解できない</strong>ということ。</p>



<p>共感することは難しい。<br><strong>簡単に共感してはいけないのかもしれない。</strong></p>



<p>そう感じるようになりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">見えているものの奥を想像する力</h2>



<p>今では、このいじめの件について、<br>「仕方がなかったこと」だと受け止めています。</p>



<p>誰かが悪いという話ではなく、<br>あの状況では<strong>必然的に起こってしまったこと</strong>だったのでしょう。</p>



<p>「自分ができないこと」が、<br>「<strong>他人の“しなくていい”</strong>」に見えることもある。<br>「<strong>他人の気持ちがわからない</strong>」ことも当然で──<br>それは、自分にも当てはまることです。</p>



<p>私は、そのことを理解し、受け入れるようになりました。</p>



<p>そして今では、<br><strong>「見えているものの奥に、どんな背景があるのかを考える」</strong><strong><br></strong> そう答えを出しました。</p>



<p><strong>誰かの幸福は、誰かの不幸かもしれない。<br>逆に、誰かの不幸が、誰かの幸福につながっている</strong>こともある。</p>



<p>「自分もこうだったから、きっとこの人の気持ちがわかる」<br>そう思っていても、まったく違うこともあります。</p>



<p><strong>自分の価値観だけで、物事を決めつけてしまうのは、とても危険なこと。</strong><strong><br></strong> それは、混乱や争いを生みかねない。</p>



<p>私はこの経験を通して、<br>そんなことを学ぶことができました。</p>







<h2 class="wp-block-heading">まとめ</h2>



<p>今回は、私なりの見解でお話ししましたが、<br>人によっては、違う受け取り方をする方もいるかもしれません。</p>



<p>この記事を読んで、何か感じたこと・思ったことがあれば、<br>どんな些細なことでも構いませんので、ぜひコメントで教えてください。</p>



<p>この内容が、誰かにとっての「気づき」や「関心を持つきっかけ」になれば、嬉しく思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">余談</h2>



<p>ドラマや映画などの感動作品を観たとき、<br>私は、<strong>あまりにも簡単に共感してしまうのは失礼</strong>なのでは…と感じてしまい、<br>どうしても感情移入しきれないことがあります。</p>



<p>また、リアルでさまざまな経験をしてきたせいか、<br>作中の展開やセリフに、ふと違和感を覚えることもあります。これは私の“あるある”なのですが、<br>同じように感じる人、他にもいるのでしょうか？</p>




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		<title>「死にたい」と思いながら生きてきた、私の話</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/about-death/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 26 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[#死にたいと思ったこと]]></category>
		<category><![CDATA[#無気力]]></category>
		<category><![CDATA[#精神的な疲労]]></category>
		<category><![CDATA[#自殺未遂]]></category>
		<category><![CDATA[しのぶの備忘録]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-8-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>幼い頃から「死にたい」と思い続けてきた私が、なぜ今こうして生きているのか。その理由と葛藤、自分なりの答えを率直に綴りました。
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-8-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>「死にたい」</p>



<p>幼い頃から何度も考えた。</p>



<p>実際、死のうとしたことも何回かある。</p>



<p>そんな生活を繰り返して、今、“死”というものに対して</p>



<p>私が思う事。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">私の「死にたい」という気持ち</h2>



<p>基礎疾患、いじめ、ブラック企業など、いろんな場面で、事あるごとに</p>



<p><strong>「死にたい」と感じていました。</strong></p>



<p>その時によって意味合いは少し変わりますが、</p>



<p>「疲れたから終わりにしたい」というイメージです。</p>



<p>渦中にあるとき、一切停まることは許されず、</p>



<p>延々とマラソンをしている気持ちになります。</p>



<p>しんどくても、のどが渇いても、足が痛くても</p>



<p><strong>休むことは許されません。</strong></p>



<p>ゴールにはいつたどり着けるのか、本当にあるのか。</p>



<p>自分は何のためにこんなことをしているのか、わからなくなります。</p>



<p>生まれてこなければよかったとさえ思っていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">私が“死ねなかった”理由</h2>



<p>常に何か問題が起きていて、そのたびに「死にたい」と感じていた私が、</p>



<p>なぜ、ずっと踏みとどまっているのか。</p>



<p>それは、自分の命を放棄することは、私にとって責任が大きすぎたからです。</p>



<p>以前、私の基礎疾患について書いた記事があります。</p>



<p>そこにも書きましたが、私は幼い頃から基礎疾患を抱えていて、</p>



<p>死に直面することが何度もありました。</p>



<p>生き続けられたのは、母親が自分の人生を犠牲にして守ってくれたからです。</p>



<p>そんな私の命を、私はたやすく放棄することはできませんでした。</p>



<p>どんなにつらくても、走り続けるしかなかったのです。</p>



<p>これは、ポジティブな感情ではなく、</p>



<p>ネガティブな感情としての<strong>「義務感」</strong>でした。</p>



<p>この経験が足を引っ張って、楽になれない。</p>



<p>そう感じていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">実際に自殺を試みて、分かったこと</h2>



<p>とはいえ、自殺を試みたこともあります。</p>



<p>ふと、本当に死ねるのか。簡単なのか、難しいのか。どんな気持ちになるのか。</p>



<p>そんな好奇心が「死にたい」という気持ちの背中を少し押したのです。</p>



<p>タイミングはバラバラですが、これまでいくつか実行してみました。</p>



<p>これを書いている時点で、死ねていないというのが答えですが、</p>



<p>その過程で、いろいろと分かったことがありました。</p>



<p>まず、<strong>「簡単ではない」という事</strong>。</p>



<p>人の体は思ったよりも頑丈にできていて、そう簡単には死に直結しないのです。</p>



<p>結構な労力や力が必要で、<strong>「面倒くさいな」と感じたのを覚えています</strong>。</p>



<p>次に、意外にも“死”に対しての恐怖心はあまりなかったということ。</p>



<p>いざ実行となると死ぬのが怖くてできない。</p>



<p>そうなると思っていたのですが、そこは問題ありませんでした。</p>



<p>最後に、やっぱり命の重みが私にのしかかってくるということ。</p>



<p>この経験を得て、私はどれだけ辛いことがあっても</p>



<p><strong>死ぬという選択肢は取れないのだと気づいたのです</strong>。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在の「死にたい」という気持ち</h2>



<p>今になっても「死にたい」と思うことは頻繁にあります。</p>



<p>いろんな経験を経て、私は人にストレスを感じるようになりました。</p>



<p>そんな私が、人としてこの世の中で生きているのだから、</p>



<p>当然、この気持ちは無くなりません。</p>



<p>実際に「死にたい」という意味ではありません。</p>



<p>あくまで、「面倒くさいから終わりたい」という気持ちです。</p>



<p>もし、<strong>ストレスを感じない方法があれば、死ぬ必要はありません</strong>。</p>



<p>ただ、何十年必死に調べても、そんな方法は存在しないのです。</p>



<p>他人に悟られることなく、相手に合わせて対応し、</p>



<p>一人ひっそりと、この感情を押し殺していくしかない。</p>



<p>これからも、そんな意味のない人生を、ただただ繰り返していくのでしょう。<br><br><br><br></p>



<p>「死にたい」と思ったことがある人は、少なくないと思います。</p>



<p>人によって、とらえ方や程度はそれぞれ違うでしょう。</p>



<p>同じように感じてる皆さんも、きっと本当に「死にたい」わけではなく、</p>



<p><strong>それしか選択肢が無いからだと思います</strong>。</p>



<p>いつか、最善の解決策が見つかることを、心から願っています。</p>



<p>最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。</p>
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		<title>感情がないと言われて。私は本当にそうなのか、自分と向き合った</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/no-emotion/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[感情との向き合い]]></category>
		<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[しのぶの備忘録]]></category>
		<category><![CDATA[感受性]]></category>
		<category><![CDATA[感情がない]]></category>
		<category><![CDATA[感情表現]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自分探し]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-7-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「感情がないよね」──そう言われたあの日。怒りも悲しみもなく、ただ驚いた私が、自分と向き合いながらたどり着いた“本当の感情”とは。人に合わせて生きてきた日々と、その苦悩、そして今の私を語ります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-7-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>ある日、同級生にこう言われました。</p>



<p>「○○って、<strong>感情がないよね</strong>」</p>



<p>怒るでもなく、悲しむでもなく</p>



<p>私はただ、驚いてしまったのを覚えています。</p>



<p>今回は、そんなふうに<strong>人からどう見られていたのか</strong>、</p>



<p>そしてそれに<strong>どう向き合ってきたのか</strong>を振り返ります。</p>



<p>自問自答をくり返しながら歩んできた、自分探しの記録です。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">私に感情はないのか、自分と向き合い始めた</h2>



<p>初めて言われたのは、小学生高学年の頃でした。</p>



<p>どんな内容の会話をしていてそう言われたのか</p>



<p>もしくは唐突に言われたのか</p>



<p>あまりのインパクトにその辺は忘れてしまいました。</p>



<p>驚いたのは自覚が無かったからです。</p>



<p>その時から私は、</p>



<p>「<strong>自分は感情表現が下手なのか、もしくは感情自体が欠落しているのか</strong>」</p>



<p>と考えるようになりました。</p>



<p>それまでの人生ですでに色々経験していた私は、</p>



<p>確かに欠落していてもおかしくないと思いました。</p>



<p>ただ、もともと感情表現が得意ではないのも事実でした。</p>



<p>どっちが正解なのか答えが出ず、もんもんと考える日々が続きました。</p>



<p>そんなことをこの年齢で考えていることが異常だったと、今では思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">過去を振り返り、私の中で出した答え</h2>



<p>結局、答えが分からないまま時が流れます。</p>



<p>それから1,2年後、また違う人に言われたのです。</p>



<p>言い方や文言は違いますが、同じ内容でした。</p>



<p>その後も、言われることがあり、スパンは短くなって結構言われるようになりました。</p>



<p>途中から私も本気でこれはよくないと思い、真剣に対策していこうと決意しました。</p>



<p>となればまずは、原因の追求から。</p>



<p>そう考えた私は過去を振り返り、いつから、何をきっかけに感情が表に出無くなってしまたのか</p>



<p>探すようになりました。</p>



<p>幼い頃から基礎疾患で病弱だった私は、もともと感情表現が苦手でした。</p>



<p>ずっとネガティブになりますし、それがずっと続くと虚無に入ります。</p>



<p>それから親の離婚・再婚、いじめなどを経験してきた私は、それらが蓄積して</p>



<p>感情が欠落しているんだと答えを出しました。</p>



<p>人よりも感情が薄く、他人にストレス、違和感、面倒を感じさせているんだと</p>



<p>問題を明確に捉える事が出来たのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">誰も知らない、私も知らない、本当の私</h2>



<p>原因が分かったのであとは対策です。</p>



<p>どうすれば、感情を表に出せるのか。</p>



<p>私は自分の感情をオーバー気味に表現するようにしました。</p>



<p>皆はどう表現しているのか観察し、良いバランスで感情表現ができるように</p>



<p>そうすればきっと、自分と他人の差異をなくせると思ったのです。</p>



<p>この原因や解決法を考えつくまで何年もかかりました。</p>



<p>いろんな事を考え、悩みましたが、この原因・解決策が</p>



<p>一番正解に近いだろうと思いました。</p>



<p>そうして、変化をし出して間もない頃、こう言われました。</p>



<p>「<strong>人間っぽくないよね</strong>」</p>



<p>この時、私の考えが全て間違っていたことに気づきました。</p>



<p>辛くて、悲しくて、消えてなくなりたいと思ったのです。</p>



<p>でも、そこにいたのは、一切顔色を変えず、相手に合わせて話を進める私でした。</p>



<p>一番言われたくない人に、一番言われたくない言葉を言われて</p>



<p>悲しくないわけがないんです。</p>



<p>これがきっかけで本当の私を知ることができました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">私の感情と本音</h2>



<p>つまり、感情表現が下手なのでも、感情が欠落しているわけでもありませんでした。</p>



<p>私はこれまでの経験で、人に合わせる生き方しかできなくなっていたのです。</p>



<p>相手の感情を読み取り、それに対して最善の対応、感情を出す。</p>



<p>そうして、本来の感情とは異なる感情を生み出すことで、無機質な感情表現が</p>



<p>出来上がったのです。</p>



<p>それに違和感を抱いた周りの人は</p>



<p>「感情が無い」</p>



<p>とそう表現したのかもしれません。</p>



<p>恐らく本来の意味は</p>



<p>「人間味が無い」</p>



<p>と言うことだったんだと思います。</p>



<p>私には、<strong>感情も本音もあります。</strong></p>



<p><strong>でも、出すことはできないのです。</strong></p>



<p>相手が求めるものを出さないと。誰も傷つけたくないから。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分を受け入れ理解するという事</h2>



<p>私は今でも、本音や本来の感情を出すことはほとんどありません。</p>



<p>ただ、あれからさらに経験し、努力を重ねた結果、もうそんな言葉を言われることは</p>



<p>なくなりました。</p>



<p>誰に対しても、どんな時でも、最善で違和感のない自然な返答ができます。</p>



<p>それはおかしくないか？それでいいのか？</p>



<p>と思われるかもしれません。</p>



<p>でも私は、自分の本音で誰かが傷つくのも損をするのも見たくないのです。</p>



<p>誰かを犠牲に成り立つ幸せは素直に喜べません。</p>



<p>もちろん最低限は存在し、避けられない事があるのも事実です。</p>



<p>それでも、他人から不幸を受けてきた私は、極力同じことをしたくない。</p>



<p>あの人たちと同じ分類にされるのは嫌だと感じるのです。</p>



<p>なにより、もし私の本音で傷づけることがあったら、その人に昔の私が重なって</p>



<p>心臓が握りつぶされるような感覚になります。</p>



<p><strong>そんなことになるなら私はずっと自分なんてなくてもいい。</strong></p>



<p>そう思いながら生きています。<br><br><br><br><br></p>



<p>皆さんはどれくらい本音を出して、どれくらい感情を出せていますか。</p>



<p>結局一番いいのは出せることだと思います。</p>



<p>それが本来人間のあるべき姿で、それによって人のつながりは成り立ちます。</p>



<p>でも、出せないという人も実際結構いてると思います。</p>



<p>出せないにもいろいろあって、パターンも様々だと思いますが、</p>



<p>もし私と同じような感覚の人がいたら、自分を受け入れてあげてください。</p>



<p>悪いことではありませんし、<strong>あなた一人ではありません。</strong></p>



<p>周りからおかしく見られるかもしれませんが、気にすることではありません。</p>



<p>でもできるだけ出せるようにはなった方がいいかもしれませんね。</p>



<p>最後まで読んでくださりありがとうございました。</p>
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		<title>「怒られないように生きる」──ブラック企業で身についた私の処世術</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 05 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[働くことについて]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[ブラック企業]]></category>
		<category><![CDATA[価値観の変化]]></category>
		<category><![CDATA[処世術]]></category>
		<category><![CDATA[心が壊れた瞬間]]></category>
		<category><![CDATA[怒られるのが怖い]]></category>
		<category><![CDATA[新卒就職失敗]]></category>
		<category><![CDATA[社会の違和感]]></category>
		<category><![CDATA[自分を変えた出来事]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-4-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>初めての就職先は、小さな会社でした。 そこには、時が止まったような、少し古びた空気が流れていて── まるでタイムスリップしたかのような、不思議な感覚の中で働いていました。 気づけば、自分の中の何かが、少しずつ変わりはじめ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-4-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>初めての就職先は、小さな会社でした。</p>



<p>そこには、時が止まったような、少し古びた空気が流れていて──</p>



<p>まるでタイムスリップしたかのような、不思議な感覚の中で働いていました。</p>



<p>気づけば、自分の中の何かが、少しずつ変わりはじめていて。</p>



<p>あの頃の経験が、今の私の見方や感じ方に、深く影を落としている気がします。</p>



<p>今回は、そんな人生のひとつの「転換点」について、書いてみようと思います。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">苦労して就職した先がブラック企業だった</h2>



<p>就職活動は、決して順調とは言えませんでした。</p>



<p>そもそも進学校で就職組は。私と他に二人くらいでした。</p>



<p>当然、学校側のサポートも手薄で、自分で道を探すしかありませんでした。</p>



<p>その頃の話は、また別の機会に書こうと思います。</p>



<p>そうした苦労の末、やっと決まった就職。</p>



<p>これからここで頑張っていくんだと、社会を知らない私は張り切っていました。</p>



<p>その苦労が、さらに事をこじらせてしまったのかもしれません。</p>



<p>就いた会社は、いわゆるブラック企業でした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ブラック企業の現実：暴言と長時間労働</h2>



<p>最初のうちは、与えられた雑用をこなし、定時に帰る日々でした。</p>



<p>特別なやりがいもなければ、大きな不満もなく──</p>



<p>ただ、そんな日常が少しずつ変わり始めたのです。</p>



<p>２か月くらい経ったころから、怒られることが多くなりました。</p>



<p>それ自体は普通の事で、そういう時期だと思います。</p>



<p>教えてもらったことを、実際経験していくフェーズです。</p>



<p>ただ、その怒り方はほとんど暴言でした。</p>



<p>そしてその対応はエスカレートしていきます。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ブラック企業で得た思考と、それが今も続く理由</h2>



<p>さすがにそれで辞めるわけにはいかないので、なんとか頑張っていました。</p>



<p>自分ができないからダメなんだと考え、何とか早く一人前になるために</p>



<p>必死に毎日の仕事をこなしていました。</p>



<p>でも、問題はそれだけにとどまりませんでした。</p>



<p>3,4か月目くらいから、作業量はどんどん増え、</p>



<p>定時に帰るなんてことはなくなり、休みさえ取れない日も増えていきました。</p>



<p>1年経つ頃には、1日12時間労働、月の休みが1日ある月と全くない月。</p>



<p>上の人の言うことは絶対、説明しようとしても、</p>



<p>「言い訳をするな」「文句を言うな」──反論も説明も許されない日々。</p>



<p>気づけば私は、何も言えず、ただ“怒られないために”動くようになっていました。</p>



<p>冗談に見せかけた言葉の暴力に笑って応じるふりをしながら、自分がすり減っていくのを感じていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">そんな生活を得て感じた自分の変化</h2>



<p>何か少しでもミスをすれば怒鳴られ、作業を早く進めないと深夜を回っても帰れない。</p>



<p>そんな生活をしていると、心身ともに衰弱していく一方で、</p>



<p>ある種の悟りのようなものが芽生えました。</p>



<p>そこで私が学んだのは、</p>



<p>“人に期待しない・頼らない”</p>



<p>“何か問題が起きるのは自分の実力不足”</p>



<p>この2つの考えが、いつしか私の行動基準になっていたのです。</p>



<p>自分が完璧に何事もこなせば、怒られることも帰れない事もありません。</p>



<p>当然、完璧というのは不可能です。</p>



<p>それでも、限りなく完璧に寄せていく努力をするしかない事に気づいたのです。</p>



<p>それに気づいてからは、人生そのものが変化していきました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">今の自分につながる事</h2>



<p>その時培った考え方は今でもありますし、より深みを増しています。</p>



<p>もちろん、それが正しいかどうかは今でもわかりません。</p>



<p>けれど、そうでもしなければ、私はもう立っていられなかった。</p>



<p>仕事に限ったことではなく、プライベートや学問などすべてに通ずるものだと思います。</p>



<p>一方で、この生き方は辛いのも事実です。</p>



<p>逃げ出したくなることもあります。</p>



<p>それでも、この考えを放棄して送る人生を考えると、まだましに感じるのです。</p>



<p>これからも、一生たどり着くことのない完璧を目指して、生きていくことでしょう。</p>















<p>今回は、就職したブラック企業と、それに伴って変化した自分をお話しました。</p>



<p>ブラック企業での経験が、自分をどう変えたのか──</p>



<p>きっと、似たような経験をした方もいると思います。</p>



<p>その方たちは、自分に変化のようなものはあったでしょうか。</p>



<p>また、皆さんの自分の変化を感じた瞬間はどんな時でしょうか。</p>



<p>些細な事でもいいので教えて頂けると嬉しいです。</p>



<p>読んでくださって、本当にありがとうございました。</p>














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				<div class="p-blogCard__inner">
					<span class="p-blogCard__caption">しのぶの備忘録</span>
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						<a class="p-blogCard__title" href="https://shinobu-bibou.com/逃げていたあの頃のはじめの一歩/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">逃げていたあの頃のはじめの一歩 | しのぶの備忘録</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">あの時はまだ、すべて周りのせいにしていました。自分は何も悪くない。環境が悪いから、苦しんでいるんだと——。 今でこそ、当時の考え方は偏っていたと思えますが、基礎疾&#8230;</span>					</div>
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		</div>]]></content:encoded>
					
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		<title>私は空気を読む。そして壊れていった。</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 24 Apr 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[共感疲労]]></category>
		<category><![CDATA[孤独感]]></category>
		<category><![CDATA[心の話]]></category>
		<category><![CDATA[感受性]]></category>
		<category><![CDATA[特異性]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[私の特異性シリーズ]]></category>
		<category><![CDATA[空気を読みすぎる]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/04/Frame-45-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>空気を読むことが当たり前だった私にとって、
対人関係は、いつも“避けられない疫病”のようでした。
誰にも見せなかった心の疲弊と、その奥にあった叫びを言葉にしました。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/04/Frame-45-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="is-style-dent_box">多くの人が、何かしらの悩みを抱えている「対人関係」。<br>今回は、そんな人付き合いに対する、<br>少し変わった“私なりの捉え方”と、心境の変化について書いてみようと思います。</p>







<p>これまでの記事でも書いた通り、私は人の空気を敏感に感じ取っていました。<br>それが生まれつきの気質なのか、育った環境によるものなのか──<br>今でもはっきりとはわかりません。</p>



<p>私の感覚では、この過酷な環境を生き抜くために、<br>自然と人の顔色を伺う癖がついていたのだと思います。<br>自覚のないまま、相手の思考を読み取っていたのでしょう。</p>



<p>そのせいで、私にとっての対人関係は、<br>いつしか「<strong>避けられない疫病</strong>」のような存在になっていきました。</p>



<p>ぱっと見では、「人の感情がわかるなら、むしろうまくやれるんじゃない？」<br>そう思う人もいるかもしれません。<br>でも実際はその逆で、むしろ私はがんじがらめになっていました。</p>



<p>わかってしまう。読めてしまう。<br>だからこそ、自分の意志や意見というものを、<br>出せなくなっていくのです。</p>



<p>「私がこう言えば、こう思われるだろう」<br>「こうすれば、相手はこう反応するだろう」<br>そんなふうに、すべてが予測できてしまう。</p>



<p>誰に対してもそうでした。<br>同級生に対しても、家族に対しても。<br>拒否権はなく、本音は隠したまま、ただ受け入れていました。</p>



<p>利用されているのも、嫌われているのも、変な奴だと思われていることも──<br>すべてわかっていながら、<strong>それでも合わせるしかない</strong>。</p>



<p>成長するにつれ、その感覚は研ぎ澄まされ、より鮮明になっていきました。<br>ただ同時に、心は摩擦で摩耗し、徐々に何も感じなくなっていきます。</p>



<p>考えることもなく、無意識で人の感情を拾い、<br>その場にとって“最適な反応”を返す。<br>それが自然と、癖になっていったのです。</p>



<p>そして何より厄介なのは、<br>この構図が子ども時代だけで終わらないということ。</p>



<p>大人になっても、変わることはありません。<br>これは「成長すれば解決する問題」ではなく、<br>人間という生き物の構造が持つ“本質”なのだと思うようになりました。</p>



<p>そう理解し始めた頃には、<br>私の感情はもう、“人間のかたち”を失いかけていたのかもしれません。</p>



<p>何も感じなくなっていたわけではなく、本当は、感じていたものを<br>ずっと奥に閉じ込めていたのだと思います。</p>



<p>以上が、今の私にとっての「対人関係」です。</p>



<p>これは、私の人生の中でも、とても大きなテーマのひとつです。<br>これからの記事でも、もっと深く掘り下げていけたらと思っています。</p>



<p>あなたにとっての「対人関係」は、どんなものですか？<br>そっと考えるきっかけになれたら、うれしいです。<br>最後まで読んでくださって、ありがとうございました。</p>




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