愛情のない偽りの家族で育った私

愛情のない偽りの家族で育った私というタイトルが中央に配置された、落ち着いた配色のブログ記事アイキャッチ画像。しのぶの備忘録シリーズ。

私には、父が2人います。

幼い頃に両親が離婚し、その後まもなく、母は別の男性と再婚。

そうして「血のつながらない父」と暮らす日常が始まりました。

今回は、その継父との関係を通して、私がどんなことを感じ、どう向き合ってきたのか。

子ども目線の再婚家庭で抱えていた戸惑いや違和感、そして今だから言語化できる思いを話します。

目次

“家族なのに家族じゃない”違和感の始まり

両親が離婚したのは幼い頃だったので、記憶は曖昧です。

ただ、実の父ではない事はぼんやりと理解していました。

離婚前からその人と面識はあったので、特別に拒絶していたわけではありません。

ただ、私自身が成長し、物事を少しずつ理解できるようになるにつれて、

継父に少し違和感を感じ始めました。

どこか私に対し距離があり、家族とは思えない異質な空気がありました。

私と継父の直接的な会話は少なく、二人だけの時間というものも、ほとんどありませんでした。

恐らく継父自身も、私の成長とともに、何か心境の変化があったのだと思います。

私は当時、母にべったりで、その状況に向き合うこともなく、

気づけば、私たちの間に小さな壁ができ始めていました。

継父があの頃、何を思っていたのかはわかりません。

けれど、きっと彼も、私と同じように

その違和感を受け流していたのだと思います。

そしてやがて、事態は悪化していきます。

あの違和感の正体が、はっきりと見える日が来るのです。

そこに愛は初めから存在しなかった

継父とは、いわゆる“年の差婚”。

母より一回り若く、いきなり子持ちの家庭に。

私にどう接していいのか分からず、

どこか無理をしているような態度が見え隠れしていました。

初めは、どうにか父を果たそうと努めていた。

でも、時がたつにつれ、気持ちが変わっていったのだと考えています。

というのも、私が状況を理解しはじめたこと、母にべったりだったことが、

継父にとって煩わしくなってきたのです。

私に対してどう接していいか分からない。母も取られる。

そんな環境が続き、壁ができはじめ、その壁は嫌悪に変わっていったのでしょう。

私もそれを感じ取っていました。

それからは関係は悪くなる一方でした。

お互いに、距離を置き、干渉しない。

それだけならいいですが、圧力や暴力を受けることもありました。

例えば、基本的に私は母と話します。

その中で、ほしいものなどお願いするとき、母は「お父さんに聞いてみて」と言うのです。

仕方なく継父にお願いしに行きます。

お願いが通ることはなく、いつも、「俺がいらないものはいらない」と言っていました。

どうしても必要な時は、さらにお願いしてみます。

蹴り飛ばされました。

私の小さな体は、そのまま何メートルも飛ばされました。涙が止まりませんでした。

でも継父は、その私に寄るのではなく、その場から立ち去っていきました。

あのとき感じていた違和感

それは、私に向けられた愛情が、最初から存在しなかったという事実でした。

どれだけ時を重ねても、私たちの距離が埋まることはなかったのです。

建前だけで続いた家族のかたち

すべてを悟った私は、完全に継父との関係に見切りを付けました。

家族、父と認識しない。ただの同居人

関わざるを得ない時も、他人として建前で接する。

そうすることで、落としどころを見つけたのです。

向こうもそれを受け入れていました。

そうして奇妙な関係がずっと続いていきました。

私にとって、父とはどういうものなのか分かりません。

初めから父が居なかったのと同じような感覚です。

それから時がたち、以前の記事でお話した、母への気持ちの変化につながります。

結局私は、母、父、家族がどんなものなのか分かりません。

全てが嘘で固められた家族。

現在とっくに離婚していて、お互い他の人を見つけているようです。

このような出来事が私を構築し、大人になっていろんな弊害がありました。

気づいたら、愛情のない人間になっていたのです。

それからは、その苦悩や努力を繰り返し、愛情とは何かを考える日々が続くのです。

あなたにとっての“家族”とは

現在、その継父とは完全に関係が途絶え、母とも滅多に連絡を取りません。

あの頃の私は、必死に“家族”というものにしがみついていました。

自分の家はまともな家庭だと信じ、そうであるために建前で固めていたのです。

家族に対しても、ずっと気を使わないといけなかったのです。

でも今は、そこまでこだわっていません。

絶対に家族がいないとだめなわけでも、生きていけないわけでもありません。

私にとって、今では“家族”も他人と同じ立ち位置にあります。

ただ、今でも時々、それがネックになることがあります。

今の世の中には、

「家族を大切にしましょう」「親を大事にしましょう」

といった価値観や風潮が根強くあります。

もちろん、それはとても大切なことです。

でも、それがすべての人に当てはまるとは限らないと、私は思います。

周りの人から、時々こう聞かれることがあります。

「親孝行してる?」「会いに行ってる?」「大切にしてる?」

そんなとき、私は何とも言えない感情に包まれ

少しだけ呼吸が止まるような感覚に襲われます

その人たちは、何も間違っていません。悪くもありません。

ただ、彼らは“普通の家庭”で育ち、

こんな劣悪な家庭があることを知らないのです。

だからこそ、その“当たり前”とのギャップに、私は少し苦しさを感じてしまいます。

今では、聞かれたときに負担がかかり過ぎないよう、返答を決めて対応しています。


皆さんは、どのような家庭で育ちましたか? 

あるいは、家庭そのものがなかった方もいるかもしれません。

何を感じ、どのような考えに行きついたのか。 

よければ、教えていただけると嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

多くの人に届けたいと思っています。 よろしければ、シェアをお願いします。
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