“ずれている”ことにすら気づけなかった私が、ようやく自分を疑えるようになるまで

“ずれている”ことにすら気づけなかった私が、ようやく自分を疑えるようになるまでというタイトルが中央に配置された、落ち着いた配色のブログ記事アイキャッチ画像。しのぶの備忘録シリーズ。

今の私は、少しだけ自分のことを俯瞰して見られるようになりました。

自分は、人とは“違う”ということ。

感覚が“敏感すぎる”ということ。


そして、親が“毒親”だったということ。

これらの事実を知っているからこそ、

「自分のずれている部分」を理解できるようになりました。

でも、あの頃の私は――

そんなこと、考えもしなかった。

「自分は間違ってない」と思い込んで、

自分を疑うことすらできない、愚かな人間だったのです。

目次

“人と違う”ことに気づけなかった私

私は幼い頃から、基礎疾患を抱えていて、体がとても弱かった。

もちろん、目に見える違いは理解していました。

でも、本当の意味での“違い”には、まったく気づけていなかったのです。


体が弱いというたったひとつのことが、

感情の動きや感じ方、思考の癖まで、通常とはまったく違うものにしていました。

けれどそのことを知らなかった私は、ずっとこう思っていました。

「なぜわかってくれないのか」

「自分は悪くないのに」

こんなことばかりを考え、やがて以前記事に書いた“いじめ”につながるのです。

“敏感すぎる”感覚を“普通”と信じていた頃

いつの頃からか、自分の感覚はとても敏感になっていました。

特に、目、鼻、耳が辛かった。

でもそれが普通だと思っていて、みんな同じ感覚だと思っていました。


例えば、運動会。

大音量の音楽や楽器の音、応援の声。

そのすべてが、私には苦痛に感じられました。

どうして皆は、苦しい思いをしてまでこんなことをしているのか不思議でならなかった。

もちろん皆も大きい音という認識はあるでしょう。

でも、自分のそれとはまったく異なる受け取り方だということを知らなかった。

度々その場から逃げ出していた私は、周りの人が間違っているのだと

自分に言い聞かせていました。

“毒親”に気づけなかった私は、母を絶対視していた」

以前の記事にも書いたように、母は私にとって“命の恩人”でした。

だからこそ私は、母を人生の軸にし、恩返しのような気持ちで生きていました。

母の言う事を信頼し、喜んでもらうために努力し、何もかも母が一番正しいのだと思っていた。

そんな生活をしていた私は、頭が凝り固まり、何が正しくて何が間違っているのか、

正しい判断ができないようになっていたのです。


母が悪く言う人・物はすべて“悪”で、

母が褒める人・物はすべて“正義”。

そんな偏った価値観を持ち、周囲を拒絶し、

自ら“生きづらい環境”を作っていたのです。

本当は違和感が少しあったのかもしれません。

それでも私は、母が正しいのだと思い込むようにしていたのです。

年齢が幼かったということもありますが、

考えが浅く、物事を表面的にしか受け取れなかった私は、

知らず知らずのうちに、自分で自分の首を絞めていたのかもしれません。


今では、“思い込み”を少しずつ手放しながら、

物事の本質に目を向けられるようになってきました。

もしかしたら、

似たような“生きづらさ”を感じている方もいるかもしれません。

もし何か響いたことや、思い出すような感覚があったら、

あなたの言葉を、そっと残していただけたらうれしいです。

多くの人に届けたいと思っています。 よろしければ、シェアをお願いします。
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