母親が私の世界だった

「母親が私の世界だった」というタイトルが中央に配置された、落ち着いた配色のブログ記事アイキャッチ画像。しのぶの備忘録シリーズ。

小さい頃の私は、母のことを心から大切に思っていました。

基礎疾患を抱えて、普通に生きることさえままならなかった私にとって、

母は“命の恩人”のような存在でした。

ただひたすら、

どうすれば母が喜んでくれるか、

そればかりを考えて、生きていました。

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大切な人

以前の記事でも書きましたが、私は幼いころから基礎疾患を抱えており、

普通に生活することはおろか、死に直面することも何度もありました。

そんな私を、自分を犠牲にしながら育ててくれた母。

幼いながらに尊敬し、感謝し、

これからの人生で母が費やしてきた時間を、少しでも返していきたいと思っていました。

母のために

体が少し落ち着いてきた中学生の頃、私はしっかり学校に通うようになり、

とにかく喜んでもらいたくて、勉強に励みました。

トップ層とまではいきませんでしたが、それなりに上位に入り、

まじめな学生生活を送っていました。

貧しい家庭だったので、欲しいものはほとんど我慢して、

母の言うことには基本的に逆らわず、できるだけ節約も心がけました。

高校に入ってからは、バイトに励み、

家計の足しになればと、給料のほとんどを母に渡していました。

卒業後も、学びたい学問はあったものの、迷わず働こうと決めていました。

思いと真実

これらすべてが、私なりの“恩返し”のつもりでした。

母が喜んでくれるなら、それでよかった。

私はそう信じて、生きてきました。

でも、それは「何も知らなかったからこそ」持てた感情だったのかもしれません。

残酷な真実に気づく、その少し前の話です。

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