<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>小学生いじめ &#8211; しのぶの備忘録</title>
	<atom:link href="https://shinobu-bibou.com/tag/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://shinobu-bibou.com</link>
	<description></description>
	<lastBuildDate>Tue, 21 Oct 2025 23:46:11 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.9.4</generator>

<image>
	<url>https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/03/cropped-Frame-1-3-1-32x32.png</url>
	<title>小学生いじめ &#8211; しのぶの備忘録</title>
	<link>https://shinobu-bibou.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>いじめと闘病を通して知った、共感の限界と誤解</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/empathy-misunderstanding/</link>
					<comments>https://shinobu-bibou.com/empathy-misunderstanding/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Oct 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[他人の価値観]]></category>
		<category><![CDATA[共感とは]]></category>
		<category><![CDATA[小学生いじめ]]></category>
		<category><![CDATA[思考の整理]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[闘病体験]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://shinobu-bibou.com/?p=205</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>闘病による制限からいじめを受けた私が、その経験から学んだ「共感の限界」と「誤解の正体」。価値観が揺らいだ瞬間の記録。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>重度の基礎疾患に苦しんでいた頃、ある同級生に</p>



<p>「<strong>自分も同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>と言われました。</p>



<p>当時の私には、<strong>追い打ちをかけるような言葉</strong>に感じたのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">幼少から続く闘病生活と、終わらない苦しみ</h2>



<p>私は、2歳頃から<strong>闘病生活</strong>を送っていました。</p>



<p>病状はかなり重く、さまざまな病院を回ったり、入院しながら治療を受けたりしていました。</p>



<p>もちろん、それ自体もとても苦しいものでした。<br>けれど、少し状態が落ち着き、どうにか気をつけながら普通の生活を送り始めても、<br>困難は終わっていませんでした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「みんなと同じ」が、どうしてもできなかった</h2>



<p>小学校には通えるようになったものの、制限はかなり多くありました。<br>飲み物や食べ物、運動など、みんなと同じようにとはいきません。</p>



<p>みんなが普通に口にしているものが、<strong>私には食べられない</strong>。<br>体育や休み時間に外で元気に体を動かしているのに、<strong>私は動けない</strong>。</p>



<p>ただ、自分にとっては、これでも“昔に比べれば”制限がゆるくなった方でした。<br>だからこそ、まだ我慢できていたのです。</p>



<p>けれど、<strong>周りの中には、それが我慢できない人もいたのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">とどめは、何気ない一言だった</h2>



<p>食べられない、動けない。<br>でもそれは、他人から見れば「食べなくていい」「動かなくていい」と映るのでした。</p>



<p>嫌いなものを我慢して食べている子。<br>苦手だけど我慢して運動している子。<br>そんな子たちにとって、<strong>私は“ずるい子”に見えた</strong>のです。</p>



<p>そして、そこから<strong>いじめへと発展</strong>していきました。</p>



<p>病気が少し良くなってきたと思ったのに<br>また、苦しい生活が始まるのかと思いました。</p>



<p>特別扱いされてずるい、<br>病気がうつるから近寄るな<br>そんな言葉をかけられていました。</p>



<p>私なりに説明はしていたのですが、<br>聞いてもらえることはほとんどなく、<br>だんだんと何も言えなくなっていきました。</p>



<p>そんな苦い学校生活を送っていたある日、<br>同級生のひとりに、こう言われたのです。</p>



<p>「<strong>自分も、同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>その一言で、<strong>いじめは加速</strong>しました。</p>



<p>その子が言ったことは、きっと嘘ではなかったのでしょう。<br>でも、その子はみんなと同じものを食べ、同じように運動もできていました。</p>



<p>「じゃあ、おかしいよね」</p>



<p>周りの子たちは、そう思ったのです。<br>何気ないその一言が、私にとって<strong>とどめの一撃</strong>になりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">傷つきからの気づき</h2>



<p>こんな病気を抱えて、苦しい思いをして、<br>なんとか生活してきた。</p>



<p><strong>自分は何も悪くないのに。</strong><strong><br></strong><strong> こんなに辛いのに。</strong></p>



<p>そう思う反面、<br>「<strong>自分は甘えて逃げているだけなんじゃないか</strong>」<br>そんなふうに考えてしまうこともありました。</p>



<p>ずっとこんな生活をしてきたから、<br>これが“当たり前”になっていたけど、<br>もしかすると、それは間違っていたのかもしれない。</p>



<p>そしてこの出来事を通して、私が痛感したのは、<br><strong>人は、簡単には他人の気持ちを理解できない</strong>ということ。</p>



<p>共感することは難しい。<br><strong>簡単に共感してはいけないのかもしれない。</strong></p>



<p>そう感じるようになりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">見えているものの奥を想像する力</h2>



<p>今では、このいじめの件について、<br>「仕方がなかったこと」だと受け止めています。</p>



<p>誰かが悪いという話ではなく、<br>あの状況では<strong>必然的に起こってしまったこと</strong>だったのでしょう。</p>



<p>「自分ができないこと」が、<br>「<strong>他人の“しなくていい”</strong>」に見えることもある。<br>「<strong>他人の気持ちがわからない</strong>」ことも当然で──<br>それは、自分にも当てはまることです。</p>



<p>私は、そのことを理解し、受け入れるようになりました。</p>



<p>そして今では、<br><strong>「見えているものの奥に、どんな背景があるのかを考える」</strong><strong><br></strong> そう答えを出しました。</p>



<p><strong>誰かの幸福は、誰かの不幸かもしれない。<br>逆に、誰かの不幸が、誰かの幸福につながっている</strong>こともある。</p>



<p>「自分もこうだったから、きっとこの人の気持ちがわかる」<br>そう思っていても、まったく違うこともあります。</p>



<p><strong>自分の価値観だけで、物事を決めつけてしまうのは、とても危険なこと。</strong><strong><br></strong> それは、混乱や争いを生みかねない。</p>



<p>私はこの経験を通して、<br>そんなことを学ぶことができました。</p>







<h2 class="wp-block-heading">まとめ</h2>



<p>今回は、私なりの見解でお話ししましたが、<br>人によっては、違う受け取り方をする方もいるかもしれません。</p>



<p>この記事を読んで、何か感じたこと・思ったことがあれば、<br>どんな些細なことでも構いませんので、ぜひコメントで教えてください。</p>



<p>この内容が、誰かにとっての「気づき」や「関心を持つきっかけ」になれば、嬉しく思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">余談</h2>



<p>ドラマや映画などの感動作品を観たとき、<br>私は、<strong>あまりにも簡単に共感してしまうのは失礼</strong>なのでは…と感じてしまい、<br>どうしても感情移入しきれないことがあります。</p>



<p>また、リアルでさまざまな経験をしてきたせいか、<br>作中の展開やセリフに、ふと違和感を覚えることもあります。これは私の“あるある”なのですが、<br>同じように感じる人、他にもいるのでしょうか？</p>




]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://shinobu-bibou.com/empathy-misunderstanding/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
