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	<title>毒親 &#8211; しのぶの備忘録</title>
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	<title>毒親 &#8211; しのぶの備忘録</title>
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		<title>愛情のない偽りの家族で育った私</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家庭環境・親との関係]]></category>
		<category><![CDATA[再婚家庭]]></category>
		<category><![CDATA[家族との距離感]]></category>
		<category><![CDATA[愛情の欠如]]></category>
		<category><![CDATA[毒親]]></category>
		<category><![CDATA[継父]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-6-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「親とは何か」「家族とは何か」。
再婚家庭で育った私が、愛情のない偽りの家族の中で感じた違和感と、その正体。
同じような境遇の方に、届いてほしい言葉があります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-6-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>私には、父が2人います。</p>



<p>幼い頃に両親が離婚し、その後まもなく、母は別の男性と再婚。</p>



<p>そうして「血のつながらない父」と暮らす日常が始まりました。</p>



<p>今回は、その継父との関係を通して、私がどんなことを感じ、どう向き合ってきたのか。</p>



<p>子ども目線の再婚家庭で抱えていた戸惑いや違和感、そして今だから言語化できる思いを話します。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">“家族なのに家族じゃない”違和感の始まり</h2>



<p>両親が離婚したのは幼い頃だったので、記憶は曖昧です。</p>



<p>ただ、実の父ではない事はぼんやりと理解していました。</p>



<p>離婚前からその人と面識はあったので、特別に拒絶していたわけではありません。</p>



<p>ただ、私自身が成長し、物事を少しずつ理解できるようになるにつれて、</p>



<p>継父に少し違和感を感じ始めました。</p>



<p>どこか私に対し距離があり、<strong>家族とは思えない異質な空気</strong>がありました。</p>



<p>私と継父の直接的な会話は少なく、二人だけの時間というものも、ほとんどありませんでした。</p>



<p>恐らく継父自身も、私の成長とともに、何か心境の変化があったのだと思います。</p>



<p>私は当時、母にべったりで、その状況に向き合うこともなく、</p>



<p>気づけば、私たちの間に小さな壁ができ始めていました。</p>



<p>継父があの頃、何を思っていたのかはわかりません。</p>



<p>けれど、きっと彼も、私と同じように</p>



<p>その違和感を受け流していたのだと思います。</p>



<p>そしてやがて、事態は悪化していきます。</p>



<p>あの違和感の正体が、はっきりと見える日が来るのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">そこに愛は初めから存在しなかった</h2>



<p>継父とは、いわゆる“年の差婚”。</p>



<p>母より一回り若く、いきなり子持ちの家庭に。</p>



<p>私にどう接していいのか分からず、</p>



<p>どこか無理をしているような態度が見え隠れしていました。</p>



<p>初めは、どうにか父を果たそうと努めていた。</p>



<p>でも、時がたつにつれ、気持ちが変わっていったのだと考えています。</p>



<p>というのも、私が状況を理解しはじめたこと、母にべったりだったことが、</p>



<p>継父にとって煩わしくなってきたのです。</p>



<p>私に対してどう接していいか分からない。母も取られる。</p>



<p>そんな環境が続き、壁ができはじめ、その壁は嫌悪に変わっていったのでしょう。</p>



<p>私もそれを感じ取っていました。</p>



<p>それからは関係は悪くなる一方でした。</p>



<p>お互いに、距離を置き、干渉しない。</p>



<p>それだけならいいですが、圧力や暴力を受けることもありました。</p>



<p>例えば、基本的に私は母と話します。</p>



<p>その中で、ほしいものなどお願いするとき、母は「お父さんに聞いてみて」と言うのです。</p>



<p>仕方なく継父にお願いしに行きます。</p>



<p>お願いが通ることはなく、いつも、「俺がいらないものはいらない」と言っていました。</p>



<p>どうしても必要な時は、さらにお願いしてみます。</p>



<p><strong>蹴り飛ばされました。</strong></p>



<p>私の小さな体は、そのまま何メートルも飛ばされました。涙が止まりませんでした。</p>



<p>でも継父は、その私に寄るのではなく、その場から立ち去っていきました。</p>



<p>あのとき感じていた違和感</p>



<p>それは、<strong>私に向けられた愛情が、最初から存在しなかったという事実</strong>でした。</p>



<p>どれだけ時を重ねても、私たちの距離が埋まることはなかったのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">建前だけで続いた家族のかたち</h2>



<p>すべてを悟った私は、完全に継父との関係に見切りを付けました。</p>



<p>家族、父と認識しない。<strong>ただの同居人</strong>。</p>



<p>関わざるを得ない時も、他人として建前で接する。</p>



<p>そうすることで、落としどころを見つけたのです。</p>



<p>向こうもそれを受け入れていました。</p>



<p>そうして奇妙な関係がずっと続いていきました。</p>



<p>私にとって、父とはどういうものなのか分かりません。</p>



<p>初めから父が居なかったのと同じような感覚です。</p>



<p>それから時がたち、以前の記事でお話した、母への気持ちの変化につながります。</p>



<p>結局私は、母、父、家族がどんなものなのか分かりません。</p>



<p>全てが嘘で固められた家族。</p>



<p>現在とっくに離婚していて、お互い他の人を見つけているようです。</p>



<p>このような出来事が私を構築し、大人になっていろんな弊害がありました。</p>



<p>気づいたら、愛情のない人間になっていたのです。</p>



<p>それからは、その苦悩や努力を繰り返し、愛情とは何かを考える日々が続くのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">あなたにとっての“家族”とは</h2>



<p>現在、その継父とは完全に関係が途絶え、母とも滅多に連絡を取りません。</p>



<p>あの頃の私は、必死に“家族”というものにしがみついていました。</p>



<p>自分の家はまともな家庭だと信じ、そうであるために建前で固めていたのです。</p>



<p>家族に対しても、ずっと気を使わないといけなかったのです。</p>



<p>でも今は、そこまでこだわっていません。</p>



<p>絶対に家族がいないとだめなわけでも、生きていけないわけでもありません。</p>



<p>私にとって、今では“家族”も他人と同じ立ち位置にあります。</p>



<p>ただ、今でも時々、それがネックになることがあります。</p>



<p>今の世の中には、</p>



<p>「家族を大切にしましょう」「親を大事にしましょう」</p>



<p>といった価値観や風潮が根強くあります。</p>



<p>もちろん、それはとても大切なことです。</p>



<p>でも、それがすべての人に当てはまるとは限らないと、私は思います。</p>



<p>周りの人から、時々こう聞かれることがあります。</p>



<p>「親孝行してる？」「会いに行ってる？」「大切にしてる？」</p>



<p>そんなとき、<strong>私は何とも言えない感情に包まれ</strong>、</p>



<p><strong>少しだけ呼吸が止まるような感覚に襲われます</strong>。</p>



<p>その人たちは、何も間違っていません。悪くもありません。</p>



<p>ただ、彼らは“普通の家庭”で育ち、</p>



<p>こんな劣悪な家庭があることを知らないのです。</p>



<p>だからこそ、その“当たり前”とのギャップに、私は少し苦しさを感じてしまいます。</p>



<p>今では、聞かれたときに負担がかかり過ぎないよう、返答を決めて対応しています。<br><br><br></p>



<p><strong>皆さんは、どのような家庭で育ちましたか？ </strong></p>



<p>あるいは、家庭そのものがなかった方もいるかもしれません。</p>



<p>何を感じ、どのような考えに行きついたのか。&nbsp;</p>



<p>よければ、教えていただけると嬉しいです。</p>



<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>“ずれている”ことにすら気づけなかった私が、ようやく自分を疑えるようになるまで</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
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		<category><![CDATA[わかる人に届いてほしい]]></category>
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		<category><![CDATA[誰にも言えなかったこと]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-2-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>自分が“ずれている”ことにも気づけなかった幼少期。敏感な感覚、毒親との関係、それら全てを知らずに生きていた私が、ようやく自分を見つめ直せるようになるまでの話。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-2-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>今の私は、少しだけ自分のことを俯瞰して見られるようになりました。</p>



<p><strong>自分は、人とは“違う”ということ。</strong><br><strong><br> 感覚が“敏感すぎる”ということ。</strong><br><strong><br> そして、親が“毒親”だったということ。</strong></p>



<p>これらの事実を知っているからこそ、<br><br>「自分のずれている部分」を理解できるようになりました。</p>



<p>でも、あの頃の私は――<br><br>そんなこと、考えもしなかった。<br><br>「自分は間違ってない」と思い込んで、<br><br>自分を疑うことすらできない、愚かな人間だったのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">“人と違う”ことに気づけなかった私</h2>



<p class="u-mb-ctrl u-mb-0">私は幼い頃から、基礎疾患を抱えていて、体がとても弱かった。<br><br>もちろん、目に見える違いは理解していました。<br><br>でも、本当の意味での“違い”には、まったく気づけていなかったのです。</p>



<p><br>体が弱いというたったひとつのことが、</p>



<p>感情の動きや感じ方、思考の癖まで、通常とはまったく違うものにしていました。</p>



<p>けれどそのことを知らなかった私は、ずっとこう思っていました。</p>



<p><strong>「なぜわかってくれないのか」</strong></p>



<p><strong>「自分は悪くないのに」</strong></p>



<p><strong>こんなことばかりを考え、やがて以前記事に書いた“いじめ”につながるのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">“敏感すぎる”感覚を“普通”と信じていた頃</h2>



<p>いつの頃からか、自分の感覚はとても敏感になっていました。</p>



<p>特に、目、鼻、耳が辛かった。</p>



<p>でもそれが普通だと思っていて、みんな同じ感覚だと思っていました。</p>



<p><br></p>



<p>例えば、運動会。</p>



<p>大音量の音楽や楽器の音、応援の声。</p>



<p>そのすべてが、私には苦痛に感じられました。</p>



<p>どうして皆は、苦しい思いをしてまでこんなことをしているのか不思議でならなかった。</p>



<p>もちろん皆も大きい音という認識はあるでしょう。</p>



<p>でも、自分のそれとはまったく異なる受け取り方だということを知らなかった。</p>



<p>度々その場から逃げ出していた私は、周りの人が間違っているのだと</p>



<p>自分に言い聞かせていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“毒親”に気づけなかった私は、母を絶対視していた」</h2>



<p>以前の記事にも書いたように、母は私にとって“命の恩人”でした。</p>



<p>だからこそ私は、母を人生の軸にし、恩返しのような気持ちで生きていました。</p>



<p>母の言う事を信頼し、喜んでもらうために努力し、何もかも母が一番正しいのだと思っていた。</p>



<p>そんな生活をしていた私は、頭が凝り固まり、何が正しくて何が間違っているのか、</p>



<p>正しい判断ができないようになっていたのです。</p>







<p><br>母が悪く言う人・物はすべて“悪”で、</p>



<p>母が褒める人・物はすべて“正義”。</p>



<p>そんな偏った価値観を持ち、周囲を拒絶し、</p>



<p><strong>自ら“生きづらい環境”を作っていたのです。</strong></p>



<p>本当は違和感が少しあったのかもしれません。</p>



<p>それでも私は、母が正しいのだと思い込むようにしていたのです。</p>



<p>年齢が幼かったということもありますが、<br><br>考えが浅く、物事を表面的にしか受け取れなかった私は、<br><br>知らず知らずのうちに、自分で自分の首を絞めていたのかもしれません。<br><br><br></p>



<p>今では、“思い込み”を少しずつ手放しながら、<br><br>物事の本質に目を向けられるようになってきました。</p>



<p>もしかしたら、<br><br>似たような“生きづらさ”を感じている方もいるかもしれません。</p>



<p>もし何か響いたことや、思い出すような感覚があったら、<br><br>あなたの言葉を、そっと残していただけたらうれしいです。</p>
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		<title>母親が私の世界だった【後編】──世界が壊れ始めた日</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/mother-toxic/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家庭環境・親との関係]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[ギャンブル依存]]></category>
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		<category><![CDATA[借金]]></category>
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		<category><![CDATA[家族との距離感]]></category>
		<category><![CDATA[尊敬と失望]]></category>
		<category><![CDATA[母親が私の世界だった]]></category>
		<category><![CDATA[毒親]]></category>
		<category><![CDATA[親子関係に悩んでいる人へ]]></category>
		<category><![CDATA[過去を振り返る]]></category>
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					<description><![CDATA[「母のために生きてきた」その思いが、私の目を曇らせていたのかもしれない。 尊敬していた。感謝していた。何ひとつ疑わなかった。けれどある日、私は気づいてしまった。「この人は毒親であり、私が信じていた家庭は、幻想だったのかも [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p><strong>「母のために生きてきた」<br>その思いが、私の目を曇らせていたのかもしれない。</strong></p>



<p>尊敬していた。感謝していた。何ひとつ疑わなかった。<br>けれどある日、私は気づいてしまった。<br>「この人は毒親であり、私が信じていた家庭は、幻想だったのかもしれない」と。</p>



<p>その日から、私の世界は、急速に反転していったのです。</p>
</div></div>



<h3 class="wp-block-heading">非常な真実</h3>



<p>私は高校生の頃から、アルバイト代の一部を家計の足しとして母に渡していました。</p>



<p>社会人になってからも、それは変わりませんでした。</p>



<p>自分の生活は最低限に抑えて、できるだけ多くを渡していたのです。</p>



<p>その中には、家計だけでなく、ある“特定の目的”のために渡していたお金もありました。</p>



<p>けれどある時、ふとしたきっかけで、衝撃の事実を知ることになります。</p>



<p>私が渡していたそのお金のほとんどが、<strong>両親のギャンブル代に消えていた</strong>のです。</p>



<p>そして、本来の目的には一切使われておらず、</p>



<p>それどころか、私は自分名義の借金を抱えることになっていました<strong>。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">見て見ぬふりをしてきた過去</h2>



<p>私の家庭は貧しく、両親も共働きで忙しく、帰宅はいつも遅かった。</p>



<p>仕事が休みの日でさえ、疲労がたまって寝ているか、家の外で何かしらの用事に追われていた。</p>



<p>それでも私は、</p>



<p>「お金がなくても、親がいない時間が多くても、皆で協力し合ってそれなりに幸せな家族」</p>



<p>──そんなふうに思い込んでいました。</p>



<p>でも今振り返れば、それは私自身の“合理化”によってつくりあげたイメージに過ぎなかったのです。</p>



<p>「おかしい」と感じた違和感に、目を向けないようにしていただけでした。</p>



<p>そうしないと、自分の中の“家族”が壊れてしまう気がして。</p>



<h2 class="wp-block-heading">愛情と尊敬は、失望に変わった</h2>



<p>それから私は、すべてを悟ってしまいました。</p>



<p>「貧乏だから仕方がない」――そう思い込んでいた現実は、</p>



<p>ただお金がギャンブルに消えていただけだった。</p>



<p>食べるものがなくて我慢した日々も、</p>



<p>欲しい物を諦め続けたことも、</p>



<p>家計を支えるためにと節約を徹底していたことも――</p>



<p>すべてが、意味のない犠牲だったと知りました。</p>



<p>両親が家にいなかったのも、仕事や用事のためだと思っていた。</p>



<p>けれど本当は、仕事が終わったあとも休日も、毎日のように二人で遊びに出かけていたのです。</p>



<p>そして後に、これはネグレクトだったのだと理解しました。</p>



<p>それまで母に抱いていた感謝や尊敬の念は、</p>



<p>気づいた瞬間に、そのまま裏返しのように<strong>怒りや絶望</strong>に変わっていきました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">そこから私は、関わりを断つ努力を始めた</h2>



<p>社会人になってから一人暮らしを始め、私は少しずつ母との距離を取るようになりました。</p>



<p>会いに行く回数を減らし、連絡の頻度も控えるようにしていきました。</p>



<p>話すことがあっても、必要最低限の会話だけで済ませ、態度もどこか冷たくなっていったと思います。</p>



<p>それでも——</p>



<p>幼い頃、母が必死になって私を育て、命をつないでくれたことは紛れもない事実です。</p>



<p>あのときの愛情が嘘だったとは思いませんし、私の命にとって本当に必要な存在だったのも確かです。</p>



<p>だからこそ、私は完全には母を見放すことができませんでした。</p>



<p>心のどこかで「でも、あの人はあのとき本気で私を助けてくれた」と思ってしまう。</p>



<p>その思いが、私を何度も立ち止まらせ、突き放すことに罪悪感を抱かせたのです。</p>



<p>結果として、つかず離れずのまま、曖昧で不安定な関係が、ずっと続いていくことになりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在の心境と母との関係</h2>



<p>あれから月日が経った今も、時折、母と連絡を取ったり、顔を合わせることがあります。</p>



<p>これまでの経験を通して、私の中では「何を優先すべきか」や、「母親をどう捉えるか」という落としどころが見えてきました。</p>



<p>今では、自分を守りながら関わるための“距離感”を保つことで、バランスを取っています。<br><br><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">たどり着いた答え</h3>



<p>母は歳を重ね、いまは独り身です。</p>



<p>寂しさからか、時折、私にすがるような連絡をしてくることもあります。</p>



<p>けれど、私はもう「自分の人生を最優先する」と決めたので、すべて応えることはしません。</p>



<p>それでも、年老いて弱っていく母の姿を見ると、どこか憐れみや同情のような気持ちが湧いてくるのも事実です。</p>



<p>完全に切り捨てることはせず、年に数回ほど、連絡を取る程度の関係を続けています。</p>



<p>母親の正体を知り、距離を置くようになってからも、</p>



<p>何度も振り回され、怒りや違和感に苛まれました。</p>



<p>けれどある時から、</p>



<p>「この人は正常に物事を考えられない、かわいそうな人なんだ」</p>



<p>そう思うようになったのです。</p>



<p>命の恩人であること。</p>



<p>尊敬の念があったこと。</p>



<p>同時に、憎しみや嫌悪が湧いたこと。</p>



<p>それらは矛盾しているようで、</p>



<p>今は、<strong>共存していてもいい感情</strong>だと思えます。</p>



<p>距離は取っているけれど、完全には切らず、</p>



<p>私なりの“答え”として、この関係を保っています。</p>
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