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	<title>生きづらさ &#8211; しのぶの備忘録</title>
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	<title>生きづらさ &#8211; しのぶの備忘録</title>
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		<title>人に頼れなくなった理由は、子どもの頃に身についた考え方だった</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 17 Dec 2025 12:20:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[人に頼れない]]></category>
		<category><![CDATA[子どもの頃の記憶]]></category>
		<category><![CDATA[家庭環境]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[考え方の癖]]></category>
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					<description><![CDATA[人に頼れないのは性格ではなく、子どもの頃に身についた考え方だった。今も変わらない自分と、そこから選んだ生き方について書いています。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="is-style-dent_box">子どもの頃、何かを買ってほしいと親にお願いしても、<br>叶うことは、ほとんどなかった。<br><br>それがいつしか、<br>「お願いしても無駄だ」<br>という考え方になっていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">お願いしても叶わなかった子どもの頃</h2>



<p>そういう経験が、何度も続いた。</p>



<p>それが自分の中で当たり前になり、<br>お願いしても買ってもらえないのが<br>普通だという認識に変わっていった。</p>



<p>だんだん、<br>お願いをすること自体が<br>無くなっていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「頼ることはいけない」と思うようになった</h2>



<p>人にお願いすること、<br>頼ることは、<br>よくないことだと<br>自分の中で位置づけられてしまった。</p>



<p>大人になって、<br>何も言えなくなってしまった。</p>



<p>むしろ、<br>言おうという考えすら<br>持たなくなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一人で背負い続けた結果、今も残っていること</h2>



<p>この行為は、<br>他人に負荷をかけることだと<br>感じていた。</p>



<p>自分の成長を妨げる<br>弱い部分だとも<br>思っていた。</p>



<p>その結果、<br>自分ですべてを背負い込み、<br>蓄積し、<br>身も心も<br>ボロボロになっていった。</p>



<p>今でも、<br>誰かに何かを<br>お願いすることはできない。</p>



<p>だからこそ、<br>周りに頼らなくても<br>進める自分でありたいと思っている。</p>



<p>それは強がりではなく、<br>今の自分が選べる、<br>生き方の一つだ。</p>


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					<span class="p-blogCard__caption">しのぶの備忘録</span>
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						<span class="p-blogCard__excerpt">私には、父が2人います。 幼い頃に両親が離婚し、その後まもなく、母は別の男性と再婚。 そうして「血のつながらない父」と暮らす日常が始まりました。 今回は、その継父と&#8230;</span>					</div>
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		<title>いじめと闘病を通して知った、共感の限界と誤解</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Oct 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[他人の価値観]]></category>
		<category><![CDATA[共感とは]]></category>
		<category><![CDATA[小学生いじめ]]></category>
		<category><![CDATA[思考の整理]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[闘病体験]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>闘病による制限からいじめを受けた私が、その経験から学んだ「共感の限界」と「誤解の正体」。価値観が揺らいだ瞬間の記録。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>重度の基礎疾患に苦しんでいた頃、ある同級生に</p>



<p>「<strong>自分も同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>と言われました。</p>



<p>当時の私には、<strong>追い打ちをかけるような言葉</strong>に感じたのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">幼少から続く闘病生活と、終わらない苦しみ</h2>



<p>私は、2歳頃から<strong>闘病生活</strong>を送っていました。</p>



<p>病状はかなり重く、さまざまな病院を回ったり、入院しながら治療を受けたりしていました。</p>



<p>もちろん、それ自体もとても苦しいものでした。<br>けれど、少し状態が落ち着き、どうにか気をつけながら普通の生活を送り始めても、<br>困難は終わっていませんでした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「みんなと同じ」が、どうしてもできなかった</h2>



<p>小学校には通えるようになったものの、制限はかなり多くありました。<br>飲み物や食べ物、運動など、みんなと同じようにとはいきません。</p>



<p>みんなが普通に口にしているものが、<strong>私には食べられない</strong>。<br>体育や休み時間に外で元気に体を動かしているのに、<strong>私は動けない</strong>。</p>



<p>ただ、自分にとっては、これでも“昔に比べれば”制限がゆるくなった方でした。<br>だからこそ、まだ我慢できていたのです。</p>



<p>けれど、<strong>周りの中には、それが我慢できない人もいたのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">とどめは、何気ない一言だった</h2>



<p>食べられない、動けない。<br>でもそれは、他人から見れば「食べなくていい」「動かなくていい」と映るのでした。</p>



<p>嫌いなものを我慢して食べている子。<br>苦手だけど我慢して運動している子。<br>そんな子たちにとって、<strong>私は“ずるい子”に見えた</strong>のです。</p>



<p>そして、そこから<strong>いじめへと発展</strong>していきました。</p>



<p>病気が少し良くなってきたと思ったのに<br>また、苦しい生活が始まるのかと思いました。</p>



<p>特別扱いされてずるい、<br>病気がうつるから近寄るな<br>そんな言葉をかけられていました。</p>



<p>私なりに説明はしていたのですが、<br>聞いてもらえることはほとんどなく、<br>だんだんと何も言えなくなっていきました。</p>



<p>そんな苦い学校生活を送っていたある日、<br>同級生のひとりに、こう言われたのです。</p>



<p>「<strong>自分も、同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>その一言で、<strong>いじめは加速</strong>しました。</p>



<p>その子が言ったことは、きっと嘘ではなかったのでしょう。<br>でも、その子はみんなと同じものを食べ、同じように運動もできていました。</p>



<p>「じゃあ、おかしいよね」</p>



<p>周りの子たちは、そう思ったのです。<br>何気ないその一言が、私にとって<strong>とどめの一撃</strong>になりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">傷つきからの気づき</h2>



<p>こんな病気を抱えて、苦しい思いをして、<br>なんとか生活してきた。</p>



<p><strong>自分は何も悪くないのに。</strong><strong><br></strong><strong> こんなに辛いのに。</strong></p>



<p>そう思う反面、<br>「<strong>自分は甘えて逃げているだけなんじゃないか</strong>」<br>そんなふうに考えてしまうこともありました。</p>



<p>ずっとこんな生活をしてきたから、<br>これが“当たり前”になっていたけど、<br>もしかすると、それは間違っていたのかもしれない。</p>



<p>そしてこの出来事を通して、私が痛感したのは、<br><strong>人は、簡単には他人の気持ちを理解できない</strong>ということ。</p>



<p>共感することは難しい。<br><strong>簡単に共感してはいけないのかもしれない。</strong></p>



<p>そう感じるようになりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">見えているものの奥を想像する力</h2>



<p>今では、このいじめの件について、<br>「仕方がなかったこと」だと受け止めています。</p>



<p>誰かが悪いという話ではなく、<br>あの状況では<strong>必然的に起こってしまったこと</strong>だったのでしょう。</p>



<p>「自分ができないこと」が、<br>「<strong>他人の“しなくていい”</strong>」に見えることもある。<br>「<strong>他人の気持ちがわからない</strong>」ことも当然で──<br>それは、自分にも当てはまることです。</p>



<p>私は、そのことを理解し、受け入れるようになりました。</p>



<p>そして今では、<br><strong>「見えているものの奥に、どんな背景があるのかを考える」</strong><strong><br></strong> そう答えを出しました。</p>



<p><strong>誰かの幸福は、誰かの不幸かもしれない。<br>逆に、誰かの不幸が、誰かの幸福につながっている</strong>こともある。</p>



<p>「自分もこうだったから、きっとこの人の気持ちがわかる」<br>そう思っていても、まったく違うこともあります。</p>



<p><strong>自分の価値観だけで、物事を決めつけてしまうのは、とても危険なこと。</strong><strong><br></strong> それは、混乱や争いを生みかねない。</p>



<p>私はこの経験を通して、<br>そんなことを学ぶことができました。</p>







<h2 class="wp-block-heading">まとめ</h2>



<p>今回は、私なりの見解でお話ししましたが、<br>人によっては、違う受け取り方をする方もいるかもしれません。</p>



<p>この記事を読んで、何か感じたこと・思ったことがあれば、<br>どんな些細なことでも構いませんので、ぜひコメントで教えてください。</p>



<p>この内容が、誰かにとっての「気づき」や「関心を持つきっかけ」になれば、嬉しく思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">余談</h2>



<p>ドラマや映画などの感動作品を観たとき、<br>私は、<strong>あまりにも簡単に共感してしまうのは失礼</strong>なのでは…と感じてしまい、<br>どうしても感情移入しきれないことがあります。</p>



<p>また、リアルでさまざまな経験をしてきたせいか、<br>作中の展開やセリフに、ふと違和感を覚えることもあります。これは私の“あるある”なのですが、<br>同じように感じる人、他にもいるのでしょうか？</p>




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		<title>「死にたい」と思いながら生きてきた、私の話</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 26 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[#死にたいと思ったこと]]></category>
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		<category><![CDATA[しのぶの備忘録]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-8-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>幼い頃から「死にたい」と思い続けてきた私が、なぜ今こうして生きているのか。その理由と葛藤、自分なりの答えを率直に綴りました。
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-8-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>「死にたい」</p>



<p>幼い頃から何度も考えた。</p>



<p>実際、死のうとしたことも何回かある。</p>



<p>そんな生活を繰り返して、今、“死”というものに対して</p>



<p>私が思う事。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">私の「死にたい」という気持ち</h2>



<p>基礎疾患、いじめ、ブラック企業など、いろんな場面で、事あるごとに</p>



<p><strong>「死にたい」と感じていました。</strong></p>



<p>その時によって意味合いは少し変わりますが、</p>



<p>「疲れたから終わりにしたい」というイメージです。</p>



<p>渦中にあるとき、一切停まることは許されず、</p>



<p>延々とマラソンをしている気持ちになります。</p>



<p>しんどくても、のどが渇いても、足が痛くても</p>



<p><strong>休むことは許されません。</strong></p>



<p>ゴールにはいつたどり着けるのか、本当にあるのか。</p>



<p>自分は何のためにこんなことをしているのか、わからなくなります。</p>



<p>生まれてこなければよかったとさえ思っていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">私が“死ねなかった”理由</h2>



<p>常に何か問題が起きていて、そのたびに「死にたい」と感じていた私が、</p>



<p>なぜ、ずっと踏みとどまっているのか。</p>



<p>それは、自分の命を放棄することは、私にとって責任が大きすぎたからです。</p>



<p>以前、私の基礎疾患について書いた記事があります。</p>



<p>そこにも書きましたが、私は幼い頃から基礎疾患を抱えていて、</p>



<p>死に直面することが何度もありました。</p>



<p>生き続けられたのは、母親が自分の人生を犠牲にして守ってくれたからです。</p>



<p>そんな私の命を、私はたやすく放棄することはできませんでした。</p>



<p>どんなにつらくても、走り続けるしかなかったのです。</p>



<p>これは、ポジティブな感情ではなく、</p>



<p>ネガティブな感情としての<strong>「義務感」</strong>でした。</p>



<p>この経験が足を引っ張って、楽になれない。</p>



<p>そう感じていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">実際に自殺を試みて、分かったこと</h2>



<p>とはいえ、自殺を試みたこともあります。</p>



<p>ふと、本当に死ねるのか。簡単なのか、難しいのか。どんな気持ちになるのか。</p>



<p>そんな好奇心が「死にたい」という気持ちの背中を少し押したのです。</p>



<p>タイミングはバラバラですが、これまでいくつか実行してみました。</p>



<p>これを書いている時点で、死ねていないというのが答えですが、</p>



<p>その過程で、いろいろと分かったことがありました。</p>



<p>まず、<strong>「簡単ではない」という事</strong>。</p>



<p>人の体は思ったよりも頑丈にできていて、そう簡単には死に直結しないのです。</p>



<p>結構な労力や力が必要で、<strong>「面倒くさいな」と感じたのを覚えています</strong>。</p>



<p>次に、意外にも“死”に対しての恐怖心はあまりなかったということ。</p>



<p>いざ実行となると死ぬのが怖くてできない。</p>



<p>そうなると思っていたのですが、そこは問題ありませんでした。</p>



<p>最後に、やっぱり命の重みが私にのしかかってくるということ。</p>



<p>この経験を得て、私はどれだけ辛いことがあっても</p>



<p><strong>死ぬという選択肢は取れないのだと気づいたのです</strong>。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在の「死にたい」という気持ち</h2>



<p>今になっても「死にたい」と思うことは頻繁にあります。</p>



<p>いろんな経験を経て、私は人にストレスを感じるようになりました。</p>



<p>そんな私が、人としてこの世の中で生きているのだから、</p>



<p>当然、この気持ちは無くなりません。</p>



<p>実際に「死にたい」という意味ではありません。</p>



<p>あくまで、「面倒くさいから終わりたい」という気持ちです。</p>



<p>もし、<strong>ストレスを感じない方法があれば、死ぬ必要はありません</strong>。</p>



<p>ただ、何十年必死に調べても、そんな方法は存在しないのです。</p>



<p>他人に悟られることなく、相手に合わせて対応し、</p>



<p>一人ひっそりと、この感情を押し殺していくしかない。</p>



<p>これからも、そんな意味のない人生を、ただただ繰り返していくのでしょう。<br><br><br><br></p>



<p>「死にたい」と思ったことがある人は、少なくないと思います。</p>



<p>人によって、とらえ方や程度はそれぞれ違うでしょう。</p>



<p>同じように感じてる皆さんも、きっと本当に「死にたい」わけではなく、</p>



<p><strong>それしか選択肢が無いからだと思います</strong>。</p>



<p>いつか、最善の解決策が見つかることを、心から願っています。</p>



<p>最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。</p>
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		<title>感情がないと言われて。私は本当にそうなのか、自分と向き合った</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Jun 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[感情との向き合い]]></category>
		<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[しのぶの備忘録]]></category>
		<category><![CDATA[感受性]]></category>
		<category><![CDATA[感情がない]]></category>
		<category><![CDATA[感情表現]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自分探し]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-7-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「感情がないよね」──そう言われたあの日。怒りも悲しみもなく、ただ驚いた私が、自分と向き合いながらたどり着いた“本当の感情”とは。人に合わせて生きてきた日々と、その苦悩、そして今の私を語ります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/06/Frame-53-7-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>ある日、同級生にこう言われました。</p>



<p>「○○って、<strong>感情がないよね</strong>」</p>



<p>怒るでもなく、悲しむでもなく</p>



<p>私はただ、驚いてしまったのを覚えています。</p>



<p>今回は、そんなふうに<strong>人からどう見られていたのか</strong>、</p>



<p>そしてそれに<strong>どう向き合ってきたのか</strong>を振り返ります。</p>



<p>自問自答をくり返しながら歩んできた、自分探しの記録です。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">私に感情はないのか、自分と向き合い始めた</h2>



<p>初めて言われたのは、小学生高学年の頃でした。</p>



<p>どんな内容の会話をしていてそう言われたのか</p>



<p>もしくは唐突に言われたのか</p>



<p>あまりのインパクトにその辺は忘れてしまいました。</p>



<p>驚いたのは自覚が無かったからです。</p>



<p>その時から私は、</p>



<p>「<strong>自分は感情表現が下手なのか、もしくは感情自体が欠落しているのか</strong>」</p>



<p>と考えるようになりました。</p>



<p>それまでの人生ですでに色々経験していた私は、</p>



<p>確かに欠落していてもおかしくないと思いました。</p>



<p>ただ、もともと感情表現が得意ではないのも事実でした。</p>



<p>どっちが正解なのか答えが出ず、もんもんと考える日々が続きました。</p>



<p>そんなことをこの年齢で考えていることが異常だったと、今では思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">過去を振り返り、私の中で出した答え</h2>



<p>結局、答えが分からないまま時が流れます。</p>



<p>それから1,2年後、また違う人に言われたのです。</p>



<p>言い方や文言は違いますが、同じ内容でした。</p>



<p>その後も、言われることがあり、スパンは短くなって結構言われるようになりました。</p>



<p>途中から私も本気でこれはよくないと思い、真剣に対策していこうと決意しました。</p>



<p>となればまずは、原因の追求から。</p>



<p>そう考えた私は過去を振り返り、いつから、何をきっかけに感情が表に出無くなってしまたのか</p>



<p>探すようになりました。</p>



<p>幼い頃から基礎疾患で病弱だった私は、もともと感情表現が苦手でした。</p>



<p>ずっとネガティブになりますし、それがずっと続くと虚無に入ります。</p>



<p>それから親の離婚・再婚、いじめなどを経験してきた私は、それらが蓄積して</p>



<p>感情が欠落しているんだと答えを出しました。</p>



<p>人よりも感情が薄く、他人にストレス、違和感、面倒を感じさせているんだと</p>



<p>問題を明確に捉える事が出来たのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">誰も知らない、私も知らない、本当の私</h2>



<p>原因が分かったのであとは対策です。</p>



<p>どうすれば、感情を表に出せるのか。</p>



<p>私は自分の感情をオーバー気味に表現するようにしました。</p>



<p>皆はどう表現しているのか観察し、良いバランスで感情表現ができるように</p>



<p>そうすればきっと、自分と他人の差異をなくせると思ったのです。</p>



<p>この原因や解決法を考えつくまで何年もかかりました。</p>



<p>いろんな事を考え、悩みましたが、この原因・解決策が</p>



<p>一番正解に近いだろうと思いました。</p>



<p>そうして、変化をし出して間もない頃、こう言われました。</p>



<p>「<strong>人間っぽくないよね</strong>」</p>



<p>この時、私の考えが全て間違っていたことに気づきました。</p>



<p>辛くて、悲しくて、消えてなくなりたいと思ったのです。</p>



<p>でも、そこにいたのは、一切顔色を変えず、相手に合わせて話を進める私でした。</p>



<p>一番言われたくない人に、一番言われたくない言葉を言われて</p>



<p>悲しくないわけがないんです。</p>



<p>これがきっかけで本当の私を知ることができました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">私の感情と本音</h2>



<p>つまり、感情表現が下手なのでも、感情が欠落しているわけでもありませんでした。</p>



<p>私はこれまでの経験で、人に合わせる生き方しかできなくなっていたのです。</p>



<p>相手の感情を読み取り、それに対して最善の対応、感情を出す。</p>



<p>そうして、本来の感情とは異なる感情を生み出すことで、無機質な感情表現が</p>



<p>出来上がったのです。</p>



<p>それに違和感を抱いた周りの人は</p>



<p>「感情が無い」</p>



<p>とそう表現したのかもしれません。</p>



<p>恐らく本来の意味は</p>



<p>「人間味が無い」</p>



<p>と言うことだったんだと思います。</p>



<p>私には、<strong>感情も本音もあります。</strong></p>



<p><strong>でも、出すことはできないのです。</strong></p>



<p>相手が求めるものを出さないと。誰も傷つけたくないから。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分を受け入れ理解するという事</h2>



<p>私は今でも、本音や本来の感情を出すことはほとんどありません。</p>



<p>ただ、あれからさらに経験し、努力を重ねた結果、もうそんな言葉を言われることは</p>



<p>なくなりました。</p>



<p>誰に対しても、どんな時でも、最善で違和感のない自然な返答ができます。</p>



<p>それはおかしくないか？それでいいのか？</p>



<p>と思われるかもしれません。</p>



<p>でも私は、自分の本音で誰かが傷つくのも損をするのも見たくないのです。</p>



<p>誰かを犠牲に成り立つ幸せは素直に喜べません。</p>



<p>もちろん最低限は存在し、避けられない事があるのも事実です。</p>



<p>それでも、他人から不幸を受けてきた私は、極力同じことをしたくない。</p>



<p>あの人たちと同じ分類にされるのは嫌だと感じるのです。</p>



<p>なにより、もし私の本音で傷づけることがあったら、その人に昔の私が重なって</p>



<p>心臓が握りつぶされるような感覚になります。</p>



<p><strong>そんなことになるなら私はずっと自分なんてなくてもいい。</strong></p>



<p>そう思いながら生きています。<br><br><br><br><br></p>



<p>皆さんはどれくらい本音を出して、どれくらい感情を出せていますか。</p>



<p>結局一番いいのは出せることだと思います。</p>



<p>それが本来人間のあるべき姿で、それによって人のつながりは成り立ちます。</p>



<p>でも、出せないという人も実際結構いてると思います。</p>



<p>出せないにもいろいろあって、パターンも様々だと思いますが、</p>



<p>もし私と同じような感覚の人がいたら、自分を受け入れてあげてください。</p>



<p>悪いことではありませんし、<strong>あなた一人ではありません。</strong></p>



<p>周りからおかしく見られるかもしれませんが、気にすることではありません。</p>



<p>でもできるだけ出せるようにはなった方がいいかもしれませんね。</p>



<p>最後まで読んでくださりありがとうございました。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>「人になりたい」と思った私</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/nomal/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 22 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[しのぶの備忘録]]></category>
		<category><![CDATA[人とのズレ]]></category>
		<category><![CDATA[人間関係の違和感]]></category>
		<category><![CDATA[共感疲労]]></category>
		<category><![CDATA[劣等感]]></category>
		<category><![CDATA[感情がないと言われた]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[私をかたちづくったもの]]></category>
		<category><![CDATA[自分を変えたい]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-1-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>劣等感や人への憧れから、私は“人になる努力”を始めました。
でもその努力は、やがて感情を置き去りにするものだった──。
これは、そんな私の記録です。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-1-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>私はいつしか、「人になりたい」と思うようになっていました。</p>



<p>私にとって苦しいと感じることを、普通の人はなんとも思わない。</p>



<p>恐怖を恐怖として感じない。</p>



<p>できない事をたやすくできてしまう。</p>



<p>私はずっと、劣等感を抱きながら生きてきました。</p>



<p>「私も、あんなふうになれたら」<br>そう願って、他人の姿ばかりを見ていた――。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">劣等感と憧れが始まった日</h2>



<p>いじめを受けていた私は、<br>引っ越しをきっかけに「自分を変えよう」と思いました。</p>



<p>劣等感や、人への憧れを強く感じるようになったのは、その頃からです。</p>



<p>友達ってどうやって作るの？<br>みんなは何を話しているんだろう？<br>そもそも、友達って何？</p>



<p>何もわかりませんでした。</p>



<p>しかも、こうした精神的なことだけではありません。</p>



<p>外で楽しそうに遊ぶ子たちを横目に、<br>私は基礎疾患のために運動すらできない。</p>



<p>欲しい物があっても、<br>家が貧しかった私は、何ひとつ買ってもらえませんでした。</p>



<p>精神的にも、身体的にも、<br>そして家庭環境においても、<br><strong>何ひとつ「人並み」と呼べるものがなかった。</strong></p>



<p>でも、ここまでなら「よくあること」だったのかもしれません。</p>



<p><strong>──本当の問題は、このあとに起きました。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">“人になる”ために始めた努力</h2>



<p>最初に抱いた劣等感や憧れを、<br>私は歪んだ形で“改善”しようとしてしまったのです。</p>



<p>以前投稿した内容に記載しましたが、私は自覚のないまま、相手の思考を読み取っていました。</p>



<p>そこからさらに、現状を変えるため“人を観察する”ようになっていきました。</p>



<p>AさんとBさんの会話。<br>Aさんが何を話して、Bさんはどう受け取ったのか。<br>それがCさんだったらどうなるのか。</p>



<p>それを考えて、実際に会話をしてみる。<br>合っていたこと、間違っていたこと。<br>それを踏まえて、また観察する。</p>



<p>トライアンドエラーの繰り返し。<br>それが、私の“人になるための努力”でした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">少しずつ手にした“普通の会話”</h2>



<p>少しずつ、「よく話す人」ができていきました。<br>会話が続くようになり、<br>ああ、自分の努力は間違ってなかったんだ、と思いました。</p>



<p>嬉しかった。<br>やっと自分が“普通”に近づけた気がして。</p>



<p>でもそのとき、私はまだ気づいていなかったのです。</p>



<p>自分が、底なしの沼に足を取られはじめていたことに。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沼に沈んでいくことに気づかずに</h2>



<p>違和感を感じるようになったのは、数年経ったあとでした。</p>



<p>人の思考を読む精度はどんどん上がり、<br>スピードも、正確さも、範囲も広がっていった。</p>



<p>それと引き換えに、<br>他人との会話も少しずつ楽になっていった。</p>



<p>でも──<br>ときどき、どうしても噛み合わない瞬間が現れるようになりました。</p>



<p>「そんなつもりはなかったのに、相手の機嫌を損ねてしまう」<br>「ちゃんと考えて返してるのに、なぜか冷たいと言われる」</p>



<p>そしてついに、<br><strong>私は“感情がない”と言われるようになったのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">感情を手放していた自分</h2>



<p>何もなかった私が、“人になりたい”一心で積み上げた努力。</p>



<p>けれどその努力のベクトルは、確実に間違っていた。</p>



<p>相手の反応を想定し、正解を探し、<br>“返し方”を頭で組み立てていくうちに──</p>



<p><strong>私は、自分の感情を置き去りにしていた。</strong></p>



<p>その頃、私はまだ自覚がありませんでした。</p>



<p>なぜ「感情がない」と言われたのか、かなりショックを受けました。</p>



<p>でも、今ならわかります。</p>



<p>人の思考に踏み込みすぎることは、時に不快感を与える。<br>感情ではなく“正解”で返すことは、距離を生む。</p>



<h2 class="wp-block-heading">あのときの私は、まだ何も知らなかった</h2>



<p>けれど、あの頃の私は──<br>そんなことに気づけるはずもなく、<br>このあと、新たな問題と向き合うことになるのです。</p>







<p>私はただ、“人になりたかった”。<br>その考え自体が間違っていたのかもしれません。</p>










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					<span class="p-blogCard__caption">しのぶの備忘録</span>
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						<a class="p-blogCard__title" href="https://shinobu-bibou.com/taijinkankei-1/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">私は空気を読む。そして壊れていった。 | しのぶの備忘録</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">多くの人が、何かしらの悩みを抱えている「対人関係」。今回は、そんな人付き合いに対する、少し変わった“私なりの捉え方”と、心境の変化について書いてみようと思います。&#8230;</span>					</div>
				</div>
			</div>
		</div>]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>“敏感すぎる体”と生きてきた私の話</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/sensitive-story/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[共感疲労]]></category>
		<category><![CDATA[嗅覚過敏]]></category>
		<category><![CDATA[感覚過敏]]></category>
		<category><![CDATA[敏感すぎる体]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[私をかたちづくったもの]]></category>
		<category><![CDATA[視線がつらい]]></category>
		<category><![CDATA[音に敏感]]></category>
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					<description><![CDATA[人の気配、音、匂い──すべてが“刺激”に感じる敏感すぎる体。私はその感覚とどう向き合い、生きてきたのかを綴ります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>生まれつきなのか、あとからなのか。<br>私の体は、いつからか“敏感すぎる体”になっていた。</p>



<p>気づけば、音や匂い、人の気配すら、&nbsp;&nbsp;</p>



<p>私にとっては「刺激」になっていたのです。</p>



<p>それはやがて、生活に支障をきたすほどの感度になり、<br>生きづらさとして現れるようになった――</p>



<p>今回は、そんな体と共に歩んできた日々の記録です。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">最初に気づいたのは「人」だった</h2>



<p>まず最初に、自分が“敏感すぎる”と気づいたのは「人」でした。<br>これは以前の投稿でも触れましたが、私は人の<strong>空気や気配、感情、視線</strong>を<br>過敏に感じ取ってしまいます。</p>



<p>その<strong>“気づいてしまう”ということ自体が、強いストレスになります</strong>。<br>そして、気づいてしまったがゆえに、<br>空気を読んで、反応し、対応しなければならない――。<br>そんな無意識の義務感や責任感が、常にのしかかってきました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">音が“刺さる”ように感じる感覚</h2>



<p>「音」と「匂い」も、同じ頃から気になるようになりました。<br>音に関しては、単純に大きな音だけではなく、<br>汚い音・甲高い声・騒がしい会話・不快な話し方など、<br>私の中で強いストレス源になっていました。</p>



<p>もちろん、音に敏感な人は他にもいるでしょう。<br>でも私の場合は、“嫌だ”を通り越して、<strong>体と心に明確なダメージを感じるのです</strong>。<br>そのストレスは一過性ではなく、どんどん蓄積し、心身に異常を引き起こすレベルにまで達します。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常を脅かす「匂い」の苦しさ</h2>



<p>そして最も深刻なのが、「嗅覚」でした。<br>これは私にとって、<br><strong>日常生活を脅かす最大の要因です</strong>。</p>



<p>嫌な匂いはさまざまありますが、私の場合はどんな匂いにも、過敏に反応してしまいます。<br>ときには、“知らなくてもいいこと”“知りたくなかった現実”まで匂いから察してしまうこともある。<br>人の匂いにも過敏で、それが人間関係そのものへのダメージになることさえあります。</p>



<h2 class="wp-block-heading">名前のつかない“敏感さ”と、その代償</h2>



<p>他にも、言葉にできないような「敏感」がこの体を蝕んでいて、<br>日々、生きづらさの影のように背中に張り付いている感覚があります。</p>



<p>そしてそれらの感覚は、経験を重ねるほどに鋭くなり、自分では制御できなくなっていきました。<br>一番の問題は、敏感であるがゆえに<strong>“情報”を強制的に受け取ってしまう</strong>こと。<br>そしてその情報に、心が縛られてしまうことなのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「HSP」という存在</h2>



<p>後になって、「HSP」という言葉を知りました。<br>私が感じてきたことと、重なる部分がいくつかあると感じています。</p>



<p>ただ、私自身がHSPかどうかを知ることには、あまり興味がありません。<br>自分の感覚は、名前がつくことで楽になるものでもない気がしているからです。</p>



<p>それでも、HSPという言葉に安心を感じている人たちや、<br>同じような生きづらさを抱える人たちがいることには、少し関心があります。</p>



<p>そういった人たちと、どこかで気持ちを交わせたら——<br>そんなふうに思うことは、今もときどきあります。</p>



<h2 class="wp-block-heading">普通から遠ざかっても、願うもの</h2>



<p>私にできることは、<br>そうした「感じてしまう状況」から、少しでも距離を取ること。</p>



<p>でもそれは同時に、“普通の生活”から遠ざかっていくことでもあります。<br>人と関わる、外に出る、匂いや音に囲まれる――<br>そうした日常のすべてが、少しずつ自分を削っていくように感じる。</p>



<p>それでも私は、<br>いつかこの感覚と調和できる日が来ることを、どこかで願って生きています。</p>



<p class="is-style-balloon_box2">もしあなたにも、似た感覚があるなら<br>同じような感覚を抱えている人は、きっと他にもいるはずです。<br>小さな共感でも、何か感じることがあれば、ぜひ残してください。</p>



<p>関連記事</p>


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			</item>
		<item>
		<title>母親が私の世界だった</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/mother-memory/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[私の母親]]></category>
		<category><![CDATA[基礎疾患]]></category>
		<category><![CDATA[子ども時代の記憶]]></category>
		<category><![CDATA[家庭環境]]></category>
		<category><![CDATA[感受性]]></category>
		<category><![CDATA[母との関係]]></category>
		<category><![CDATA[毒親予備軍]]></category>
		<category><![CDATA[無償の愛]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[私の特異性シリーズ]]></category>
		<category><![CDATA[自己犠牲]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-49-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>「母が喜ぶことが、私のすべてだった」──
その信念で生きてきた子供時代の私の記憶を、静かに綴っています。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-49-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>小さい頃の私は、母のことを心から大切に思っていました。</p>



<p>基礎疾患を抱えて、普通に生きることさえままならなかった私にとって、</p>



<p>母は“命の恩人”のような存在でした。<br><br></p>







<p>ただひたすら、</p>



<p>どうすれば母が喜んでくれるか、</p>



<p>そればかりを考えて、生きていました。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">大切な人</h2>



<p>以前の記事でも書きましたが、私は幼いころから基礎疾患を抱えており、</p>



<p>普通に生活することはおろか、死に直面することも何度もありました。<br><br></p>



<p>そんな私を、自分を犠牲にしながら育ててくれた母。</p>



<p>幼いながらに尊敬し、感謝し、</p>



<p>これからの人生で母が費やしてきた時間を、少しでも返していきたいと思っていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">母のために</h2>



<p>体が少し落ち着いてきた中学生の頃、私はしっかり学校に通うようになり、</p>



<p>とにかく喜んでもらいたくて、勉強に励みました。</p>



<p>トップ層とまではいきませんでしたが、それなりに上位に入り、</p>



<p>まじめな学生生活を送っていました。<br><br></p>



<p>貧しい家庭だったので、欲しいものはほとんど我慢して、</p>



<p>母の言うことには基本的に逆らわず、できるだけ節約も心がけました。<br><br></p>



<p>高校に入ってからは、バイトに励み、</p>



<p>家計の足しになればと、給料のほとんどを母に渡していました。</p>



<p>卒業後も、学びたい学問はあったものの、迷わず働こうと決めていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">思いと真実</h2>



<p>これらすべてが、私なりの“恩返し”のつもりでした。</p>



<p>母が喜んでくれるなら、それでよかった。</p>



<p><strong>私はそう信じて、生きてきました。</strong><br><br></p>



<p>でも、それは「何も知らなかったからこそ」持てた感情だったのかもしれません。</p>



<p>残酷な真実に気づく、その少し前の話です。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>私は空気を読む。そして壊れていった。</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/taijinkankei-1/</link>
					<comments>https://shinobu-bibou.com/taijinkankei-1/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 24 Apr 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[共感疲労]]></category>
		<category><![CDATA[孤独感]]></category>
		<category><![CDATA[心の話]]></category>
		<category><![CDATA[感受性]]></category>
		<category><![CDATA[特異性]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[私の特異性シリーズ]]></category>
		<category><![CDATA[空気を読みすぎる]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/04/Frame-45-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>空気を読むことが当たり前だった私にとって、
対人関係は、いつも“避けられない疫病”のようでした。
誰にも見せなかった心の疲弊と、その奥にあった叫びを言葉にしました。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/04/Frame-45-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<p class="is-style-dent_box">多くの人が、何かしらの悩みを抱えている「対人関係」。<br>今回は、そんな人付き合いに対する、<br>少し変わった“私なりの捉え方”と、心境の変化について書いてみようと思います。</p>







<p>これまでの記事でも書いた通り、私は人の空気を敏感に感じ取っていました。<br>それが生まれつきの気質なのか、育った環境によるものなのか──<br>今でもはっきりとはわかりません。</p>



<p>私の感覚では、この過酷な環境を生き抜くために、<br>自然と人の顔色を伺う癖がついていたのだと思います。<br>自覚のないまま、相手の思考を読み取っていたのでしょう。</p>



<p>そのせいで、私にとっての対人関係は、<br>いつしか「<strong>避けられない疫病</strong>」のような存在になっていきました。</p>



<p>ぱっと見では、「人の感情がわかるなら、むしろうまくやれるんじゃない？」<br>そう思う人もいるかもしれません。<br>でも実際はその逆で、むしろ私はがんじがらめになっていました。</p>



<p>わかってしまう。読めてしまう。<br>だからこそ、自分の意志や意見というものを、<br>出せなくなっていくのです。</p>



<p>「私がこう言えば、こう思われるだろう」<br>「こうすれば、相手はこう反応するだろう」<br>そんなふうに、すべてが予測できてしまう。</p>



<p>誰に対してもそうでした。<br>同級生に対しても、家族に対しても。<br>拒否権はなく、本音は隠したまま、ただ受け入れていました。</p>



<p>利用されているのも、嫌われているのも、変な奴だと思われていることも──<br>すべてわかっていながら、<strong>それでも合わせるしかない</strong>。</p>



<p>成長するにつれ、その感覚は研ぎ澄まされ、より鮮明になっていきました。<br>ただ同時に、心は摩擦で摩耗し、徐々に何も感じなくなっていきます。</p>



<p>考えることもなく、無意識で人の感情を拾い、<br>その場にとって“最適な反応”を返す。<br>それが自然と、癖になっていったのです。</p>



<p>そして何より厄介なのは、<br>この構図が子ども時代だけで終わらないということ。</p>



<p>大人になっても、変わることはありません。<br>これは「成長すれば解決する問題」ではなく、<br>人間という生き物の構造が持つ“本質”なのだと思うようになりました。</p>



<p>そう理解し始めた頃には、<br>私の感情はもう、“人間のかたち”を失いかけていたのかもしれません。</p>



<p>何も感じなくなっていたわけではなく、本当は、感じていたものを<br>ずっと奥に閉じ込めていたのだと思います。</p>



<p>以上が、今の私にとっての「対人関係」です。</p>



<p>これは、私の人生の中でも、とても大きなテーマのひとつです。<br>これからの記事でも、もっと深く掘り下げていけたらと思っています。</p>



<p>あなたにとっての「対人関係」は、どんなものですか？<br>そっと考えるきっかけになれたら、うれしいです。<br>最後まで読んでくださって、ありがとうございました。</p>




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