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	<title>自己理解 &#8211; しのぶの備忘録</title>
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		<title>いじめと闘病を通して知った、共感の限界と誤解</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Oct 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[他人の価値観]]></category>
		<category><![CDATA[共感とは]]></category>
		<category><![CDATA[小学生いじめ]]></category>
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		<category><![CDATA[闘病体験]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>闘病による制限からいじめを受けた私が、その経験から学んだ「共感の限界」と「誤解の正体」。価値観が揺らいだ瞬間の記録。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/10/Frame-53-10-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>重度の基礎疾患に苦しんでいた頃、ある同級生に</p>



<p>「<strong>自分も同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>と言われました。</p>



<p>当時の私には、<strong>追い打ちをかけるような言葉</strong>に感じたのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">幼少から続く闘病生活と、終わらない苦しみ</h2>



<p>私は、2歳頃から<strong>闘病生活</strong>を送っていました。</p>



<p>病状はかなり重く、さまざまな病院を回ったり、入院しながら治療を受けたりしていました。</p>



<p>もちろん、それ自体もとても苦しいものでした。<br>けれど、少し状態が落ち着き、どうにか気をつけながら普通の生活を送り始めても、<br>困難は終わっていませんでした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「みんなと同じ」が、どうしてもできなかった</h2>



<p>小学校には通えるようになったものの、制限はかなり多くありました。<br>飲み物や食べ物、運動など、みんなと同じようにとはいきません。</p>



<p>みんなが普通に口にしているものが、<strong>私には食べられない</strong>。<br>体育や休み時間に外で元気に体を動かしているのに、<strong>私は動けない</strong>。</p>



<p>ただ、自分にとっては、これでも“昔に比べれば”制限がゆるくなった方でした。<br>だからこそ、まだ我慢できていたのです。</p>



<p>けれど、<strong>周りの中には、それが我慢できない人もいたのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">とどめは、何気ない一言だった</h2>



<p>食べられない、動けない。<br>でもそれは、他人から見れば「食べなくていい」「動かなくていい」と映るのでした。</p>



<p>嫌いなものを我慢して食べている子。<br>苦手だけど我慢して運動している子。<br>そんな子たちにとって、<strong>私は“ずるい子”に見えた</strong>のです。</p>



<p>そして、そこから<strong>いじめへと発展</strong>していきました。</p>



<p>病気が少し良くなってきたと思ったのに<br>また、苦しい生活が始まるのかと思いました。</p>



<p>特別扱いされてずるい、<br>病気がうつるから近寄るな<br>そんな言葉をかけられていました。</p>



<p>私なりに説明はしていたのですが、<br>聞いてもらえることはほとんどなく、<br>だんだんと何も言えなくなっていきました。</p>



<p>そんな苦い学校生活を送っていたある日、<br>同級生のひとりに、こう言われたのです。</p>



<p>「<strong>自分も、同じ病気だよ</strong>」</p>



<p>その一言で、<strong>いじめは加速</strong>しました。</p>



<p>その子が言ったことは、きっと嘘ではなかったのでしょう。<br>でも、その子はみんなと同じものを食べ、同じように運動もできていました。</p>



<p>「じゃあ、おかしいよね」</p>



<p>周りの子たちは、そう思ったのです。<br>何気ないその一言が、私にとって<strong>とどめの一撃</strong>になりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">傷つきからの気づき</h2>



<p>こんな病気を抱えて、苦しい思いをして、<br>なんとか生活してきた。</p>



<p><strong>自分は何も悪くないのに。</strong><strong><br></strong><strong> こんなに辛いのに。</strong></p>



<p>そう思う反面、<br>「<strong>自分は甘えて逃げているだけなんじゃないか</strong>」<br>そんなふうに考えてしまうこともありました。</p>



<p>ずっとこんな生活をしてきたから、<br>これが“当たり前”になっていたけど、<br>もしかすると、それは間違っていたのかもしれない。</p>



<p>そしてこの出来事を通して、私が痛感したのは、<br><strong>人は、簡単には他人の気持ちを理解できない</strong>ということ。</p>



<p>共感することは難しい。<br><strong>簡単に共感してはいけないのかもしれない。</strong></p>



<p>そう感じるようになりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">見えているものの奥を想像する力</h2>



<p>今では、このいじめの件について、<br>「仕方がなかったこと」だと受け止めています。</p>



<p>誰かが悪いという話ではなく、<br>あの状況では<strong>必然的に起こってしまったこと</strong>だったのでしょう。</p>



<p>「自分ができないこと」が、<br>「<strong>他人の“しなくていい”</strong>」に見えることもある。<br>「<strong>他人の気持ちがわからない</strong>」ことも当然で──<br>それは、自分にも当てはまることです。</p>



<p>私は、そのことを理解し、受け入れるようになりました。</p>



<p>そして今では、<br><strong>「見えているものの奥に、どんな背景があるのかを考える」</strong><strong><br></strong> そう答えを出しました。</p>



<p><strong>誰かの幸福は、誰かの不幸かもしれない。<br>逆に、誰かの不幸が、誰かの幸福につながっている</strong>こともある。</p>



<p>「自分もこうだったから、きっとこの人の気持ちがわかる」<br>そう思っていても、まったく違うこともあります。</p>



<p><strong>自分の価値観だけで、物事を決めつけてしまうのは、とても危険なこと。</strong><strong><br></strong> それは、混乱や争いを生みかねない。</p>



<p>私はこの経験を通して、<br>そんなことを学ぶことができました。</p>







<h2 class="wp-block-heading">まとめ</h2>



<p>今回は、私なりの見解でお話ししましたが、<br>人によっては、違う受け取り方をする方もいるかもしれません。</p>



<p>この記事を読んで、何か感じたこと・思ったことがあれば、<br>どんな些細なことでも構いませんので、ぜひコメントで教えてください。</p>



<p>この内容が、誰かにとっての「気づき」や「関心を持つきっかけ」になれば、嬉しく思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">余談</h2>



<p>ドラマや映画などの感動作品を観たとき、<br>私は、<strong>あまりにも簡単に共感してしまうのは失礼</strong>なのでは…と感じてしまい、<br>どうしても感情移入しきれないことがあります。</p>



<p>また、リアルでさまざまな経験をしてきたせいか、<br>作中の展開やセリフに、ふと違和感を覚えることもあります。これは私の“あるある”なのですが、<br>同じように感じる人、他にもいるのでしょうか？</p>




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		<title>自分を知るとはどういうことか？ 私の気づきと変化</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 13 Aug 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[いじめ]]></category>
		<category><![CDATA[人間関係]]></category>
		<category><![CDATA[気づき]]></category>
		<category><![CDATA[社会人経験]]></category>
		<category><![CDATA[考え方の変化]]></category>
		<category><![CDATA[自分を知る]]></category>
		<category><![CDATA[自己対話]]></category>
		<category><![CDATA[自己成長]]></category>
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					<description><![CDATA[自分のこと、本当にわかっていますか？──いじめや社会人経験を通して「自分を知ること」の意味に気づいた私の記録です。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p><strong>皆さんは、自分のことをどれくらい理解しているでしょうか。</strong><strong><br></strong>「わかっているつもり」でも、実はあまりわかっていない<br>そんなことは意外と多いものです。</p>



<p>かく言う私も、昔は自分自身のことをよく理解できていませんでした。<br>ただ、幸いなことに、<strong>比較的早い段階でそのことに気づくことができた</strong>のです。</p>



<ul class="wp-block-list">
<li>何がきっかけで気づいたのか<br></li>



<li>気づいたことで何が変わったのか<br></li>



<li>なぜ“気づくこと”が大事なのか<br></li>
</ul>



<p>今回は、私の人生や考え方をもとに、そんなお話をしていこうと思います。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">最初に“自分”に気づいた日──いじめと向き合って</h2>



<p><strong>最初に“自分”に気づいたのは、小学生のときでした。</strong></p>



<p>基礎疾患による見た目の問題で、いじめを受けていました。<br>この問題を解決するために、私は真剣に自分と向き合ったことがあります。</p>



<p>原因を考えたとき、「本当に見た目だけが理由なのか？他にもあるのでは？」<br>そう考えるようになりました。</p>



<p>そこで行きついたのが、自分の“性格”でした。<br>自覚はありませんでしたが、周りから見た私は──<br><strong>表情が暗い／声が小さい／動きが鈍い。</strong></p>



<p>こうした点が、いじめの原因になっているのではないかと思うようになったのです。</p>



<p>その後、諸事情で転校することになった私は、それをきっかけに、少しずつ自分を変えていきました。<br>すると、環境も少しずつ変わっていきました。</p>



<p>このとき私は初めて、<strong>“知らなかった自分”を知った</strong>のです。</p>



<p>ただ、ここで一つ大切なことがあります。<br>この体験だけで「自分のすべてを理解できる」わけではないということです。<br>だからこそ私は、「最初に気づいたのが」と、あえてそう書きました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新社会人になって知った「ズレた私」</h2>



<p><strong>次に“気づき”があったのは、新社会人になったときでした。</strong></p>



<p>学生の頃は、自分で関わる人・環境・スケジュールをある程度管理できます。<br>でも社会人になると、そうはいきません。</p>



<p>コミュニケーションがより重要になり、<br>いろんな人と、いろんな場面で会話や作業をするようになります。<br>その中で、指摘されたり、怒られたり、教えられたりする場面が増えます。</p>



<p>そうした中で私は、<br><strong>自分がズレた考えをしていたこと、甘い思考をしていたこと、</strong><strong><br></strong><strong>逃げることばかり考えていたこと</strong>に気づきました。</p>



<p>本心や思考のクセ、それが周囲や自分にどんな影響を与えていたかを知って、<br>驚きとともに、「このままではよくない」と感じたのです。</p>



<p>それ以来、私は何か行動したり判断したりする前に、<br>一度立ち止まって、自分に問いかけるようになりました。</p>



<p><strong>「自分は本当はどう考えているのか？」</strong><strong><br></strong><strong>「本当にそれが正しいのか？」</strong></p>



<p>そうやって自分と向き合うようになると、<br>周囲の人の対応にも、少しずつ変化が見え始めました。</p>



<p>この“対話”ができるようになってから、自分への理解が一気に深まった気がします。</p>



<p>とはいえ、人は常に変化します。<br>「以前はこう考えていたけど、今は違う」<br>そんなこともよくあります。</p>



<p>知っていることが増えると同時に、知らないこともまた増えていく。<br><strong>自分を理解するということは、常に続いていく行為</strong>なのだと実感しました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">気づける力が、私を変えた</h2>



<p>それからも、何度か自分を知る場面がありました。<br>現在では、かなりの解像度で自分を理解しています。<br>さらに、無意識のうちに自分の行動や判断の本心を捉えられるようになり、<br>心境の変化にもすぐ気づくことができます。</p>



<p>この「気づける」ということができるようになると、<br>自分の弱い部分やダメな部分をすぐに見つけることができ、<br>それに対する対処も考えられるようになります。</p>



<p>昔のような甘い考えや、逃げ癖が出ないようにもできるし、<br>逆に、本当につらいときには、自分を逃がしてあげる・寄り添ってあげることもできます。</p>



<p>つまり、自分をコントロールし、自己成長ができるようになるのです。</p>



<p>年齢を重ねるにつれ、指摘してくれる人は減り、<br>自分自身も固定概念に縛られがちになります。<br>だからこそ、「自分を知る」ということはとても大切なのです。</p>



<p>もちろん、今の私も自分を完璧に理解しているわけではありません。<br>変化し続ける以上、その瞬間はきっと訪れないでしょう。</p>



<p>それでも私は、常に自分と向き合うことを大切にし、<br>これからもそうありたいと心がけています。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「きっかけ」は自分を知る最大のチャンス</h2>



<p>このように私は、何かのきっかけで自分を知ることがよくありました。</p>



<p>そしてこの「きっかけ」こそが、自分を知るための一番のチャンスだと思っています。</p>



<p>ただしこれは、誰にでもすぐに起きるものではありません。<br>なにもきっかけがなかった人、気づけなかった人もいるでしょう。</p>



<p>けれど、たとえきっかけがなくても、「気づくこと」はできます。</p>



<p>皆さんも、何かを行動するとき、何かを判断するとき、<br>いちど立ち止まって、自分と向き合ってみてください。</p>



<p>自分を知ることは、きっと自分にとって「良いこと」しかありません。</p>



<p>このブログが、そんな気づきのきっかけになれば嬉しいです。</p>



<p>私の人生や考え方については、これまでの記事でもお話ししています。<br>今回冒頭で触れた「いじめ」の話についても過去に書いていますので、<br>ぜひあわせて読んでいただければと思います。</p>



<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>“ずれている”ことにすら気づけなかった私が、ようやく自分を疑えるようになるまで</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/misunderstood-myself/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[わかる人に届いてほしい]]></category>
		<category><![CDATA[共依存]]></category>
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		<category><![CDATA[毒親]]></category>
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		<category><![CDATA[誰にも言えなかったこと]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-2-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>自分が“ずれている”ことにも気づけなかった幼少期。敏感な感覚、毒親との関係、それら全てを知らずに生きていた私が、ようやく自分を見つめ直せるようになるまでの話。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-2-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>今の私は、少しだけ自分のことを俯瞰して見られるようになりました。</p>



<p><strong>自分は、人とは“違う”ということ。</strong><br><strong><br> 感覚が“敏感すぎる”ということ。</strong><br><strong><br> そして、親が“毒親”だったということ。</strong></p>



<p>これらの事実を知っているからこそ、<br><br>「自分のずれている部分」を理解できるようになりました。</p>



<p>でも、あの頃の私は――<br><br>そんなこと、考えもしなかった。<br><br>「自分は間違ってない」と思い込んで、<br><br>自分を疑うことすらできない、愚かな人間だったのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">“人と違う”ことに気づけなかった私</h2>



<p class="u-mb-ctrl u-mb-0">私は幼い頃から、基礎疾患を抱えていて、体がとても弱かった。<br><br>もちろん、目に見える違いは理解していました。<br><br>でも、本当の意味での“違い”には、まったく気づけていなかったのです。</p>



<p><br>体が弱いというたったひとつのことが、</p>



<p>感情の動きや感じ方、思考の癖まで、通常とはまったく違うものにしていました。</p>



<p>けれどそのことを知らなかった私は、ずっとこう思っていました。</p>



<p><strong>「なぜわかってくれないのか」</strong></p>



<p><strong>「自分は悪くないのに」</strong></p>



<p><strong>こんなことばかりを考え、やがて以前記事に書いた“いじめ”につながるのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">“敏感すぎる”感覚を“普通”と信じていた頃</h2>



<p>いつの頃からか、自分の感覚はとても敏感になっていました。</p>



<p>特に、目、鼻、耳が辛かった。</p>



<p>でもそれが普通だと思っていて、みんな同じ感覚だと思っていました。</p>



<p><br></p>



<p>例えば、運動会。</p>



<p>大音量の音楽や楽器の音、応援の声。</p>



<p>そのすべてが、私には苦痛に感じられました。</p>



<p>どうして皆は、苦しい思いをしてまでこんなことをしているのか不思議でならなかった。</p>



<p>もちろん皆も大きい音という認識はあるでしょう。</p>



<p>でも、自分のそれとはまったく異なる受け取り方だということを知らなかった。</p>



<p>度々その場から逃げ出していた私は、周りの人が間違っているのだと</p>



<p>自分に言い聞かせていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“毒親”に気づけなかった私は、母を絶対視していた」</h2>



<p>以前の記事にも書いたように、母は私にとって“命の恩人”でした。</p>



<p>だからこそ私は、母を人生の軸にし、恩返しのような気持ちで生きていました。</p>



<p>母の言う事を信頼し、喜んでもらうために努力し、何もかも母が一番正しいのだと思っていた。</p>



<p>そんな生活をしていた私は、頭が凝り固まり、何が正しくて何が間違っているのか、</p>



<p>正しい判断ができないようになっていたのです。</p>







<p><br>母が悪く言う人・物はすべて“悪”で、</p>



<p>母が褒める人・物はすべて“正義”。</p>



<p>そんな偏った価値観を持ち、周囲を拒絶し、</p>



<p><strong>自ら“生きづらい環境”を作っていたのです。</strong></p>



<p>本当は違和感が少しあったのかもしれません。</p>



<p>それでも私は、母が正しいのだと思い込むようにしていたのです。</p>



<p>年齢が幼かったということもありますが、<br><br>考えが浅く、物事を表面的にしか受け取れなかった私は、<br><br>知らず知らずのうちに、自分で自分の首を絞めていたのかもしれません。<br><br><br></p>



<p>今では、“思い込み”を少しずつ手放しながら、<br><br>物事の本質に目を向けられるようになってきました。</p>



<p>もしかしたら、<br><br>似たような“生きづらさ”を感じている方もいるかもしれません。</p>



<p>もし何か響いたことや、思い出すような感覚があったら、<br><br>あなたの言葉を、そっと残していただけたらうれしいです。</p>
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