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	<title>HSP &#8211; しのぶの備忘録</title>
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	<title>HSP &#8211; しのぶの備忘録</title>
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		<title>自分ではなくなっていくまでの記録</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Feb 2026 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[人生と向き合う]]></category>
		<category><![CDATA[人生の気づき]]></category>
		<category><![CDATA[対人関係]]></category>
		<category><![CDATA[心の記録]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[エンパス]]></category>
		<category><![CDATA[普通]]></category>
		<category><![CDATA[異常]]></category>
		<category><![CDATA[過剰適応]]></category>
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					<description><![CDATA[普通になりたかっただけだった。
人の気持ちを考え、誰も傷つけないように生きようとした。
気づいたときには、自分が何者だったのかさえ分からなくなっていた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">他人の事を考えない自己中心的な子供時代</h2>



<p>昔の自分は、全くと言っていいほど人の気持ちが理解できなかった。<br>生まれ育った環境によって、考え方が一般的な人と異なっていた、というのもあるが、そもそも他人を理解しようとしていなかったのだと思う。</p>



<p>自分の気持ちを最優先し、都合が悪くなればその場から逃げる。<br>子どもとはそういうものだと言われればそれまでだが、それにしても度が過ぎていたと思う。</p>



<p>以前の記事で触れたように、いじめを受けたときも、いじめる側の気持ちを考えようとはせず、<br>「自分は何も悪くない」「あいつらが異常なんだ」と決めつけ、考えることから逃げていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">変化のきっかけ</h2>



<p>この考え方が変わったのは、「この瞬間から変わった」というような急激なものではなく、<br>少しずつ段階を踏んで変化していった結果だった。</p>



<p>人は大人になるにつれて、自然とそうなっていく。<br>確かにそれは事実だと思う。<br>ただ、自分はその過程を歪ませてしまった。<br>本来進むはずだったルートから外れ、それがそのまま自分の核になってしまった。</p>



<p>最初の変化は、これも以前の記事で書いた、<br>いじめの最中に起きた転校だった。</p>



<p>「このままの自分ではいけない」<br>自分を変えようとする、ほんの小さな変化だった。</p>



<p>この時点では、まだ他人のことを考えられるわけでもなく、<br>自分の何が悪いのかも理解していなかった。<br>ただ、「何かがおかしい」「このままではよくない」という感覚だけが芽生え始めていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の居場所が欲しいと思った</h2>



<p>その後、環境は徐々に緩和され、<br>少人数ではあるが、友達のような存在ができた。</p>



<p>ただ、そこで感じていたのは、<br>それはあくまで「友達のようなもの」であって、<br>少し下に見られていたり、仕方なく輪に入れてもらっていたりする立場だったということだ。</p>



<p>その人たちが、本当の友達同士で楽しそうに遊んでいるのを見て、<br>自分は強い羨ましさを感じていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">思考の大きな分岐点</h2>



<p>そこから、少しずつ他人の気持ちを考えるようになった。</p>



<p>それ以降、学生生活の間、<br>他人の思考や感情をひたすら分析し、同時に自分自身も見つめ直し続けた。</p>



<p>「普通の人は何を考え、何を感じているのか」<br>「自分はなぜ人と違うのか」</p>



<p>おそらく学生生活の終盤には、<br>普通の人と同じか、あるいは少し敏感な程度にはなっていたと思う。</p>



<p>今振り返れば、この辺りでやめておけばよかった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の核となるもの</h2>



<p>社会人になってからも、この習慣は続いた。<br>というより、「やめてはいけない」「人として当然すべきことだ」と感じていた。</p>



<p>なぜ、そんな考え方になったのか。</p>



<p>それは、生活環境や学校生活、自分自身の思考の変化などが複雑に絡み合い、<br>他人や自分を理解し、考えることで、<br>「他人に嫌な思いをさせないことこそが正義だ」と感じるようになったからだ。</p>



<p>理由は単純だった。</p>



<p>自分はこれまで、嫌な体験や苦しい思いを何度もしてきた。<br>泣き、苦しみ続けてきた人生だった。</p>



<p>だから、自分がされて嫌だったことを、他人にはしたくない。<br>誰かが嫌悪したり、悲しんだりする空間を作りたくない。</p>



<p>それらを「悪」と捉え、<br>お互いにそうしたものを生み出さないようにすることが、<br>人間としての常識なのだと考えるようになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">行き過ぎた共感が生んだ地獄</h2>



<p>しかしその結果、人生は良くなるどころか、<br>まったく別のベクトルの地獄へと向かっていった。</p>



<p>今だからわかることだが、<br>あの頃から自分は「普通」を通り越し、<br>行き過ぎたレベルで他人の心を読もうとし、<br>それに必死で対応しようとする反射が染みついていた。</p>



<p>HSPやエンパス、過剰適応に近い状態が、<br>自分の中に現れていたのだと思う。</p>



<p>社会人生活を送る中で、それらはさらに悪化し、<br>他人に合わせて自分を押し殺す、負の循環に陥っていった。</p>



<p>嫌なことを押し付けられ、利用され、<br>裏では馬鹿にされる。</p>



<p>それでも、この反射は止まらなかった。<br>むしろ精度を増し、考えるより先に行動が出るようになっていた。</p>



<p>結局、「普通になりたい」と願った自分は、<br>異常から普通を通り越し、再び異常な状態に辿り着いていたのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">なぜやめられなかったのか</h2>



<p>「なぜ途中でやめなかったのか」と疑問に思うだろう。<br>だが、それがどうしてもできなかった。</p>



<p>理由はいくつかあるが、どれも単純だ。</p>



<p>まず、他人を嫌な気持ちにさせたくなかった。<br>それぞれがそう振る舞うことこそが、本来あるべき平和な形だと考えていた。</p>



<p>さらに、これに反することは、<br>これまで自分を貶め、嫌悪してきた人間と同じになることだと思っていた。</p>



<p>そして、自分がこれをやめれば、<br>代わりに苦しむ人が出てくると考えていた。</p>



<p>これができる人間は多くない。<br>自分だけとは言わないが、極めて少数だと思っていた。</p>



<p>だからこそ、この行動に責任を感じ、<br>「自分がこの役を引き受けるしかない」と、そう思い込んでいた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現在と、唯一の願い</h2>



<p>今では、少し外に出るだけでも、<br>たとえ身近な人との会話であっても、<br>心身ともに強い疲労を感じ、異常が出る。</p>



<p>普通に働くことも、長時間外に出ることも難しい。<br>未来に希望を見出せず、ただ月日だけが過ぎていく。</p>



<p>自分なりに調べ、考え続けてきたが、<br>もうどうにもならないところまで来てしまったと悟った。</p>



<p>それでも、ひとつだけ気になっていることがあり、<br>それが唯一、自分のしたいことでもある。</p>



<p>それは、自分と同じくらいの度合いで、<br>同じようなことをしてきた人間が他にも存在するのか、<br>もし存在するなら、その話を聞いてみたい、ということだ。</p>



<p>これは自慢でも傲慢でもない。<br>これまで、自分と同じような精度や感覚を持つ人を、<br>一度も見たことがない。</p>



<p>その人はどのような過程を辿り、<br>今、どのように生活しているのかを知りたい。</p>



<p>もっとも、自分と同じ感覚を持つ人間は、<br>表に出ることも少なく、行動も慎重であるはずだ。</p>



<p>それが叶うことは、きっとほとんどないのだろう。</p>



<p>これからも自分を押し込み、他人に合わせ、<br>苦しみながら、さらに精度を増しつつ生きていくのだと思う。</p>
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		<title>“ずれている”ことにすら気づけなかった私が、ようやく自分を疑えるようになるまで</title>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[自己理解]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[わかる人に届いてほしい]]></category>
		<category><![CDATA[共依存]]></category>
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		<category><![CDATA[毒親]]></category>
		<category><![CDATA[繊細さん]]></category>
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		<category><![CDATA[誰にも言えなかったこと]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-2-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>自分が“ずれている”ことにも気づけなかった幼少期。敏感な感覚、毒親との関係、それら全てを知らずに生きていた私が、ようやく自分を見つめ直せるようになるまでの話。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-2-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>今の私は、少しだけ自分のことを俯瞰して見られるようになりました。</p>



<p><strong>自分は、人とは“違う”ということ。</strong><br><strong><br> 感覚が“敏感すぎる”ということ。</strong><br><strong><br> そして、親が“毒親”だったということ。</strong></p>



<p>これらの事実を知っているからこそ、<br><br>「自分のずれている部分」を理解できるようになりました。</p>



<p>でも、あの頃の私は――<br><br>そんなこと、考えもしなかった。<br><br>「自分は間違ってない」と思い込んで、<br><br>自分を疑うことすらできない、愚かな人間だったのです。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">“人と違う”ことに気づけなかった私</h2>



<p class="u-mb-ctrl u-mb-0">私は幼い頃から、基礎疾患を抱えていて、体がとても弱かった。<br><br>もちろん、目に見える違いは理解していました。<br><br>でも、本当の意味での“違い”には、まったく気づけていなかったのです。</p>



<p><br>体が弱いというたったひとつのことが、</p>



<p>感情の動きや感じ方、思考の癖まで、通常とはまったく違うものにしていました。</p>



<p>けれどそのことを知らなかった私は、ずっとこう思っていました。</p>



<p><strong>「なぜわかってくれないのか」</strong></p>



<p><strong>「自分は悪くないのに」</strong></p>



<p><strong>こんなことばかりを考え、やがて以前記事に書いた“いじめ”につながるのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">“敏感すぎる”感覚を“普通”と信じていた頃</h2>



<p>いつの頃からか、自分の感覚はとても敏感になっていました。</p>



<p>特に、目、鼻、耳が辛かった。</p>



<p>でもそれが普通だと思っていて、みんな同じ感覚だと思っていました。</p>



<p><br></p>



<p>例えば、運動会。</p>



<p>大音量の音楽や楽器の音、応援の声。</p>



<p>そのすべてが、私には苦痛に感じられました。</p>



<p>どうして皆は、苦しい思いをしてまでこんなことをしているのか不思議でならなかった。</p>



<p>もちろん皆も大きい音という認識はあるでしょう。</p>



<p>でも、自分のそれとはまったく異なる受け取り方だということを知らなかった。</p>



<p>度々その場から逃げ出していた私は、周りの人が間違っているのだと</p>



<p>自分に言い聞かせていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“毒親”に気づけなかった私は、母を絶対視していた」</h2>



<p>以前の記事にも書いたように、母は私にとって“命の恩人”でした。</p>



<p>だからこそ私は、母を人生の軸にし、恩返しのような気持ちで生きていました。</p>



<p>母の言う事を信頼し、喜んでもらうために努力し、何もかも母が一番正しいのだと思っていた。</p>



<p>そんな生活をしていた私は、頭が凝り固まり、何が正しくて何が間違っているのか、</p>



<p>正しい判断ができないようになっていたのです。</p>







<p><br>母が悪く言う人・物はすべて“悪”で、</p>



<p>母が褒める人・物はすべて“正義”。</p>



<p>そんな偏った価値観を持ち、周囲を拒絶し、</p>



<p><strong>自ら“生きづらい環境”を作っていたのです。</strong></p>



<p>本当は違和感が少しあったのかもしれません。</p>



<p>それでも私は、母が正しいのだと思い込むようにしていたのです。</p>



<p>年齢が幼かったということもありますが、<br><br>考えが浅く、物事を表面的にしか受け取れなかった私は、<br><br>知らず知らずのうちに、自分で自分の首を絞めていたのかもしれません。<br><br><br></p>



<p>今では、“思い込み”を少しずつ手放しながら、<br><br>物事の本質に目を向けられるようになってきました。</p>



<p>もしかしたら、<br><br>似たような“生きづらさ”を感じている方もいるかもしれません。</p>



<p>もし何か響いたことや、思い出すような感覚があったら、<br><br>あなたの言葉を、そっと残していただけたらうれしいです。</p>
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		<title>「人になりたい」と思った私</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/nomal/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 22 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[しのぶの備忘録]]></category>
		<category><![CDATA[人とのズレ]]></category>
		<category><![CDATA[人間関係の違和感]]></category>
		<category><![CDATA[共感疲労]]></category>
		<category><![CDATA[劣等感]]></category>
		<category><![CDATA[感情がないと言われた]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[私をかたちづくったもの]]></category>
		<category><![CDATA[自分を変えたい]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-1-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>劣等感や人への憧れから、私は“人になる努力”を始めました。
でもその努力は、やがて感情を置き去りにするものだった──。
これは、そんな私の記録です。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/05/Frame-53-1-1024x576.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>私はいつしか、「人になりたい」と思うようになっていました。</p>



<p>私にとって苦しいと感じることを、普通の人はなんとも思わない。</p>



<p>恐怖を恐怖として感じない。</p>



<p>できない事をたやすくできてしまう。</p>



<p>私はずっと、劣等感を抱きながら生きてきました。</p>



<p>「私も、あんなふうになれたら」<br>そう願って、他人の姿ばかりを見ていた――。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">劣等感と憧れが始まった日</h2>



<p>いじめを受けていた私は、<br>引っ越しをきっかけに「自分を変えよう」と思いました。</p>



<p>劣等感や、人への憧れを強く感じるようになったのは、その頃からです。</p>



<p>友達ってどうやって作るの？<br>みんなは何を話しているんだろう？<br>そもそも、友達って何？</p>



<p>何もわかりませんでした。</p>



<p>しかも、こうした精神的なことだけではありません。</p>



<p>外で楽しそうに遊ぶ子たちを横目に、<br>私は基礎疾患のために運動すらできない。</p>



<p>欲しい物があっても、<br>家が貧しかった私は、何ひとつ買ってもらえませんでした。</p>



<p>精神的にも、身体的にも、<br>そして家庭環境においても、<br><strong>何ひとつ「人並み」と呼べるものがなかった。</strong></p>



<p>でも、ここまでなら「よくあること」だったのかもしれません。</p>



<p><strong>──本当の問題は、このあとに起きました。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">“人になる”ために始めた努力</h2>



<p>最初に抱いた劣等感や憧れを、<br>私は歪んだ形で“改善”しようとしてしまったのです。</p>



<p>以前投稿した内容に記載しましたが、私は自覚のないまま、相手の思考を読み取っていました。</p>



<p>そこからさらに、現状を変えるため“人を観察する”ようになっていきました。</p>



<p>AさんとBさんの会話。<br>Aさんが何を話して、Bさんはどう受け取ったのか。<br>それがCさんだったらどうなるのか。</p>



<p>それを考えて、実際に会話をしてみる。<br>合っていたこと、間違っていたこと。<br>それを踏まえて、また観察する。</p>



<p>トライアンドエラーの繰り返し。<br>それが、私の“人になるための努力”でした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">少しずつ手にした“普通の会話”</h2>



<p>少しずつ、「よく話す人」ができていきました。<br>会話が続くようになり、<br>ああ、自分の努力は間違ってなかったんだ、と思いました。</p>



<p>嬉しかった。<br>やっと自分が“普通”に近づけた気がして。</p>



<p>でもそのとき、私はまだ気づいていなかったのです。</p>



<p>自分が、底なしの沼に足を取られはじめていたことに。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沼に沈んでいくことに気づかずに</h2>



<p>違和感を感じるようになったのは、数年経ったあとでした。</p>



<p>人の思考を読む精度はどんどん上がり、<br>スピードも、正確さも、範囲も広がっていった。</p>



<p>それと引き換えに、<br>他人との会話も少しずつ楽になっていった。</p>



<p>でも──<br>ときどき、どうしても噛み合わない瞬間が現れるようになりました。</p>



<p>「そんなつもりはなかったのに、相手の機嫌を損ねてしまう」<br>「ちゃんと考えて返してるのに、なぜか冷たいと言われる」</p>



<p>そしてついに、<br><strong>私は“感情がない”と言われるようになったのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">感情を手放していた自分</h2>



<p>何もなかった私が、“人になりたい”一心で積み上げた努力。</p>



<p>けれどその努力のベクトルは、確実に間違っていた。</p>



<p>相手の反応を想定し、正解を探し、<br>“返し方”を頭で組み立てていくうちに──</p>



<p><strong>私は、自分の感情を置き去りにしていた。</strong></p>



<p>その頃、私はまだ自覚がありませんでした。</p>



<p>なぜ「感情がない」と言われたのか、かなりショックを受けました。</p>



<p>でも、今ならわかります。</p>



<p>人の思考に踏み込みすぎることは、時に不快感を与える。<br>感情ではなく“正解”で返すことは、距離を生む。</p>



<h2 class="wp-block-heading">あのときの私は、まだ何も知らなかった</h2>



<p>けれど、あの頃の私は──<br>そんなことに気づけるはずもなく、<br>このあと、新たな問題と向き合うことになるのです。</p>







<p>私はただ、“人になりたかった”。<br>その考え自体が間違っていたのかもしれません。</p>










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				<div class="p-blogCard__inner">
					<span class="p-blogCard__caption">しのぶの備忘録</span>
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				</div>
			</div>
		</div>]]></content:encoded>
					
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			</item>
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		<title>“敏感すぎる体”と生きてきた私の話</title>
		<link>https://shinobu-bibou.com/sensitive-story/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[しのぶ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 May 2025 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[感覚と生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[HSP]]></category>
		<category><![CDATA[共感疲労]]></category>
		<category><![CDATA[嗅覚過敏]]></category>
		<category><![CDATA[感覚過敏]]></category>
		<category><![CDATA[敏感すぎる体]]></category>
		<category><![CDATA[生きづらさ]]></category>
		<category><![CDATA[私をかたちづくったもの]]></category>
		<category><![CDATA[視線がつらい]]></category>
		<category><![CDATA[音に敏感]]></category>
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					<description><![CDATA[人の気配、音、匂い──すべてが“刺激”に感じる敏感すぎる体。私はその感覚とどう向き合い、生きてきたのかを綴ります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="wp-block-group is-style-dent_box"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-constrained wp-block-group-is-layout-constrained">
<p>生まれつきなのか、あとからなのか。<br>私の体は、いつからか“敏感すぎる体”になっていた。</p>



<p>気づけば、音や匂い、人の気配すら、&nbsp;&nbsp;</p>



<p>私にとっては「刺激」になっていたのです。</p>



<p>それはやがて、生活に支障をきたすほどの感度になり、<br>生きづらさとして現れるようになった――</p>



<p>今回は、そんな体と共に歩んできた日々の記録です。</p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading">最初に気づいたのは「人」だった</h2>



<p>まず最初に、自分が“敏感すぎる”と気づいたのは「人」でした。<br>これは以前の投稿でも触れましたが、私は人の<strong>空気や気配、感情、視線</strong>を<br>過敏に感じ取ってしまいます。</p>



<p>その<strong>“気づいてしまう”ということ自体が、強いストレスになります</strong>。<br>そして、気づいてしまったがゆえに、<br>空気を読んで、反応し、対応しなければならない――。<br>そんな無意識の義務感や責任感が、常にのしかかってきました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">音が“刺さる”ように感じる感覚</h2>



<p>「音」と「匂い」も、同じ頃から気になるようになりました。<br>音に関しては、単純に大きな音だけではなく、<br>汚い音・甲高い声・騒がしい会話・不快な話し方など、<br>私の中で強いストレス源になっていました。</p>



<p>もちろん、音に敏感な人は他にもいるでしょう。<br>でも私の場合は、“嫌だ”を通り越して、<strong>体と心に明確なダメージを感じるのです</strong>。<br>そのストレスは一過性ではなく、どんどん蓄積し、心身に異常を引き起こすレベルにまで達します。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常を脅かす「匂い」の苦しさ</h2>



<p>そして最も深刻なのが、「嗅覚」でした。<br>これは私にとって、<br><strong>日常生活を脅かす最大の要因です</strong>。</p>



<p>嫌な匂いはさまざまありますが、私の場合はどんな匂いにも、過敏に反応してしまいます。<br>ときには、“知らなくてもいいこと”“知りたくなかった現実”まで匂いから察してしまうこともある。<br>人の匂いにも過敏で、それが人間関係そのものへのダメージになることさえあります。</p>



<h2 class="wp-block-heading">名前のつかない“敏感さ”と、その代償</h2>



<p>他にも、言葉にできないような「敏感」がこの体を蝕んでいて、<br>日々、生きづらさの影のように背中に張り付いている感覚があります。</p>



<p>そしてそれらの感覚は、経験を重ねるほどに鋭くなり、自分では制御できなくなっていきました。<br>一番の問題は、敏感であるがゆえに<strong>“情報”を強制的に受け取ってしまう</strong>こと。<br>そしてその情報に、心が縛られてしまうことなのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「HSP」という存在</h2>



<p>後になって、「HSP」という言葉を知りました。<br>私が感じてきたことと、重なる部分がいくつかあると感じています。</p>



<p>ただ、私自身がHSPかどうかを知ることには、あまり興味がありません。<br>自分の感覚は、名前がつくことで楽になるものでもない気がしているからです。</p>



<p>それでも、HSPという言葉に安心を感じている人たちや、<br>同じような生きづらさを抱える人たちがいることには、少し関心があります。</p>



<p>そういった人たちと、どこかで気持ちを交わせたら——<br>そんなふうに思うことは、今もときどきあります。</p>



<h2 class="wp-block-heading">普通から遠ざかっても、願うもの</h2>



<p>私にできることは、<br>そうした「感じてしまう状況」から、少しでも距離を取ること。</p>



<p>でもそれは同時に、“普通の生活”から遠ざかっていくことでもあります。<br>人と関わる、外に出る、匂いや音に囲まれる――<br>そうした日常のすべてが、少しずつ自分を削っていくように感じる。</p>



<p>それでも私は、<br>いつかこの感覚と調和できる日が来ることを、どこかで願って生きています。</p>



<p class="is-style-balloon_box2">もしあなたにも、似た感覚があるなら<br>同じような感覚を抱えている人は、きっと他にもいるはずです。<br>小さな共感でも、何か感じることがあれば、ぜひ残してください。</p>



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					<span class="p-blogCard__caption">しのぶの備忘録</span>
					<div class="p-blogCard__thumb c-postThumb"><figure class="c-postThumb__figure"><img decoding="async" src="https://shinobu-bibou.com/wp-content/uploads/2025/04/Frame-30.png" alt="" class="c-postThumb__img u-obf-cover" width="320" height="180"></figure></div>					<div class="p-blogCard__body">
						<a class="p-blogCard__title" href="https://shinobu-bibou.com/tokuisei/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">私の特異性──空気を読む子供と、死が怖かった夜 | しのぶの備忘録</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">もしかしたら、自分は「異常」なのかもしれない。そう気づいたのは、大人になってからのことでした。 よく考えてみると、それは環境のせいなのか、生まれつきなのか。自分&#8230;</span>					</div>
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