多くの人が、何かしらの悩みを抱えている「対人関係」。
今回は、そんな人付き合いに対する、
少し変わった“私なりの捉え方”と、心境の変化について書いてみようと思います。
これまでの記事でも書いた通り、私は人の空気を敏感に感じ取っていました。
それが生まれつきの気質なのか、育った環境によるものなのか──
今でもはっきりとはわかりません。
私の感覚では、この過酷な環境を生き抜くために、
自然と人の顔色を伺う癖がついていたのだと思います。
自覚のないまま、相手の思考を読み取っていたのでしょう。
そのせいで、私にとっての対人関係は、
いつしか「避けられない疫病」のような存在になっていきました。
ぱっと見では、「人の感情がわかるなら、むしろうまくやれるんじゃない?」
そう思う人もいるかもしれません。
でも実際はその逆で、むしろ私はがんじがらめになっていました。
わかってしまう。読めてしまう。
だからこそ、自分の意志や意見というものを、
出せなくなっていくのです。
「私がこう言えば、こう思われるだろう」
「こうすれば、相手はこう反応するだろう」
そんなふうに、すべてが予測できてしまう。
誰に対してもそうでした。
同級生に対しても、家族に対しても。
拒否権はなく、本音は隠したまま、ただ受け入れていました。
利用されているのも、嫌われているのも、変な奴だと思われていることも──
すべてわかっていながら、それでも合わせるしかない。
成長するにつれ、その感覚は研ぎ澄まされ、より鮮明になっていきました。
ただ同時に、心は摩擦で摩耗し、徐々に何も感じなくなっていきます。
考えることもなく、無意識で人の感情を拾い、
その場にとって“最適な反応”を返す。
それが自然と、癖になっていったのです。
そして何より厄介なのは、
この構図が子ども時代だけで終わらないということ。
大人になっても、変わることはありません。
これは「成長すれば解決する問題」ではなく、
人間という生き物の構造が持つ“本質”なのだと思うようになりました。
そう理解し始めた頃には、
私の感情はもう、“人間のかたち”を失いかけていたのかもしれません。
何も感じなくなっていたわけではなく、本当は、感じていたものを
ずっと奥に閉じ込めていたのだと思います。
以上が、今の私にとっての「対人関係」です。
これは、私の人生の中でも、とても大きなテーマのひとつです。
これからの記事でも、もっと深く掘り下げていけたらと思っています。
あなたにとっての「対人関係」は、どんなものですか?
そっと考えるきっかけになれたら、うれしいです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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